東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

週末 浜松へ行っていた

土曜から一泊で、静岡の浜松へ行っていた。特に何かあるからというわけではなく、単純に旅行で。関東には台風が来ているという時ではあったけれども、すでに何日も前から決めていたことだし、とりあえず行ってみようと思い、土曜の朝、夜勤明けに東京駅へ向かった。すでに金曜日の時点で、土曜から台風が来ることは分かっていたので、ある程度覚悟をしていたのだけれども、東京はまだ雨も小降りで、確かに新幹線ホームは混んでいたものの、大半がのぞみやひかりを待つ人で、浜松へ行く場合は、こだまを利用するので、意外とすんなり乗れた。ただ、静岡〜掛川間が台風の影響が出ているそうで、そこを通るときだけ速度を落としての走行をするらしい。

新幹線に乗るのは本当に久しぶりだ。飛行機は大学が帯広だったので頻繁に利用していたが、その分新幹線を使うことは減った。僕の両親はどっちも出身が九州で、実家に帰るときは博多まで新幹線を使っていたのだけれども、それも高校の頃まで。車の免許を取ってからは少しの遠出ならば、車で行っていたので、本当に新鮮な気分で新幹線に乗った。東京駅で秋の味覚三昧弁当という駅弁を購入。1000円。若干の遅れがあってから出発。品川、新横浜と順調に進んでいった。ちょっと前にテレビでタレントの関根勤が駅弁を食べるタイミングのことを話しており、関根勤は新幹線に乗ったらすぐに駅弁を食べ始めるとのことで、場合によっては走り出す前に食べきってしまうこともあるらしいのだが、その場にいたオスギだかピーコだかが、それに猛反発をしていた。オスギだかピーコだかは新横浜を過ぎるまで食べないらしい。新横浜までは落ち着かないし、旅に出た気がしないのだそうだ。その時は何の気なしに聞いていたけれど、新幹線に乗って僕も気付いた。僕もオスギだかピーコと一緒だった。新横浜を過ぎるまでお弁当を開く気にならなかった。やはりせっかくの旅なのだから旅っぽい気分で味わいたい。秋の味覚三昧弁当は美味しかった。コンビニ弁当くらいの気持ちで食べ始めたら全然違った。煮物もとてもいい感じで煮てあるし、ご飯が違う。美味しい米を使っている。1000円したけど妥当だと思えた。新横浜を過ぎて小田原に向かう辺り、急速にのどかな風景になっていく中でのんびりと駅弁を食べていると、それで旅の気分になってくる。

小田原〜熱海〜三島〜新富士と順調に過ぎたけれども、静岡あたりから風景が一変。どしゃ降り。車窓から見える川がもうちょっとで溢れそうになっていた。掛川を過ぎた辺りは、道路にも水が溢れているみたいで、風も強く、新幹線も速度を落として走っていた。ただそれも浜松に着いた頃には落ち着いて、雨も小降りになっていた。どうやら浜松は台風の影響を激しくは受けていないみたいだった。予定通り、まずは舘山寺温泉へ。浜名湖東岸にある、曹洞宗舘山寺の周りに広がる温泉街。昭和33年開湯とのことで、なんだか昔なつかしの温泉街だった。温泉宿の間に飲み屋、パブなどがあり、ヌードショーを見せる小屋もあった。どうも昔ながらの温泉街はこういうのがある。場末な感あり。とりあえずその温泉街のホテルの一つで温泉に入る。なんだか飾りすぎた感じのある温泉だったのだけれど、とにかく気持ちよかった。舘山寺の付近は電車が走っておらず、浜松駅からバスで30分ばかり。地元の人たちは車で行くのだろうけど、観光客はバスが頼り。舘山寺温泉を出て、再びバスで帰る頃には、雲の合間から夕焼けが見えるくらいで、台風はどこへやら。浜名湖と相まってきれいだった。あと浜名湖はでかい。夜は浜松駅の付近の居酒屋へ。浜名湖で獲れたものなのか、魚がめちゃくちゃうまかった。穴子の天ぷらやほたての刺身。最高でした。

夜にホテルのテレビをつけると、浜松では全然分からなかった台風の被害が報道されており、びっくりした。静岡〜掛川間の台風がその後さらにひどくなっていたみたいで、僕が東京を出たホンの2時間後に、東海道新幹線はかなりのダイヤの乱れがあったそうだ。本当にわずかな差で大変なことになるところだった。東京も中央線の線路に土砂が入っていたり、地下鉄のホームに浸水していたりと夕方はひどかったみたいだ。久しく連絡を取っていなかった大学の頃の同期SやOが、台風を心配してメールをくれた。すっかり回避していたので、なんだか肩透かしさせてしまったような気がしたものの、心配してくれていたのはうれしい。大学の頃の友人が全国にいるので、何かニュースがあると、ここは○○がいる辺りだなぁなどと思うこともあり、少しだけ距離が縮まる。日本は広い、けれどもどこかに誰かがいる。そういえば会社で一緒に働いている人たちがF1の鈴鹿グランプリを見に行っていたはずで、土曜の予選が中止になったことはニュースで知ったけれども、日曜は盛り上がったらしい。せっかくの3連休も台風で大変なことになっていた。

次の日は、浜名湖でやっている浜名湖花博へ行く。いろんな花が飾ってある博覧会。とにかくその規模のでかいこと。一日では回りきれないほどの催し物があるし、会期も4月から10月までと半年もある。前日が台風のせいで中止になっていたせいもあり、この日はとても混んでいた。10月11日でこの博覧会がおわるということもあり、どっと人が来たのだろうけれども、どこもかしこも人だらけだった。見ていて面白かったものはいくつもあった。現在作られているバラの中でもっとも青い色の品種と言われているブルーへブンというバラやジュラ期のころの植物、ジュラシックツリーが見れたり、画家のモネの家や庭を完全に再現した場所があったり。フラワーアーティストであるダニエル・オストという方が作った竹と、浜名湖の名産であるメロンの皮で作った月のオブジェや造園家宮城俊作さんが作った日本庭園「観月の庭」はとてもきれいだった。あと特に面白かったのは、日本の伝統的な園芸植物や盆栽について紹介した園芸文化会館だった。貴重な盆栽が展示してあるほかに、盆栽の歴史なども紹介してあり、とても興味深かった。江戸時代、徳川家康が園芸に力を入れていたことから急速に文化がひろがり、日本のみならず、文明開化後の欧州世界にも影響を与えた日本の園芸植物。とりわけ盆栽は美しかった。

度々引用している中沢新一さんの週刊現代で連載されている「アースダイバー」を引用すると、古来中国で生まれた盆栽は大宇宙を小さなサイズに縮小して、机の上に宇宙を閉じ込めてしまうアートとして広がったが、しかし日本ではまた違う発達をしていた。例えば鉄道模型はサイズを小さくして情報量を減らしながらも、元と同じ形を再現してみせるが、盆栽は違う。小さくなっているといっても情報量は少しも減っていない。枝の一本一本、葉の一つ一つが大きいサイズの状態にある植物とまったく同じだけの情報量をもってそこに存在している。簡素な佇まいをしていながらも、細部に眼を凝らすとそこにとてつもなく複雑な世界が隠れている。それでいて、それ自体はれっきとした一個の生物として、ある。ちょっと飛躍して語ると、現代はいかに無駄なものを省いていけるかが念頭にあって様々なものが作られている。歪でごつごつしたでっぱりを極力排除している。そこには怪物は存在しない。生物はもともと怪物的なところを持っている。しかし世界は自分の中に住む怪物を抹殺する方向に向かっている。こういう現代に対して、盆栽の思想こそ必要だと中沢さんは言う。盆栽は人間の作り出したもので、自然が野放図に成長した結果でもないし、コントロールの効かないスラムでもない。外見はミニマリズムなのに中身は怪物というとんでもないものを産み出す可能性を秘めているという。

日本人の文化には、小さくしていく中に、しかし元の大きさ以上に情報量を入れることを求めるものがあるような気がする。その根源に盆栽があるとしたら、盆栽は実に面白い。出展されている盆栽のいくつかが、高木盆栽博物館所有とあり、それは東京の市谷にあるらしいので機会があったら行ってみたいと思った。とにかくこうして花博を楽しんで、1泊2日の浜松の旅は終わった。こだま新幹線で東京から2時間。思えば遠くへ来たもんだと思うこともできないくらいあっという間にたどり着く。もっと長い時間をかけていろんなところに行きたいと思う。また車で1人旅もしたくなった。

関東は台風が過ぎても、はっきりしない天気が続いている。すっかり肌寒くなった。