東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

覚書程度に

■ ブッシュが再選を果たした。接戦だったとのことだが、そうはいっても差はあったようで、テレビなどを見ていると都市部以外の中西部はブッシュがほぼ全勝していたらしい。その理由が、一般市民が多い中西部では億万長者であるケリーにいい印象を持てなかったというものであるのではとのこと。おそらく同じくらい億万長者であるブッシュがしかしそういった人に好印象である理由はテキサス州の自宅に牛を飼っているからだろうか。つまり牛に何かしら印象を良くする何かがあるのか。考えるべきは牛か。偉い立場の人は牛を飼うと好印象を持てるのか。まぁテロに不安なアメリカの人達が、テロに対してすばやい行動を起せそうな人はケリーよりブッシュだったのだろう。アメリカに残されたテロの爪あとは深い。

■ブッシュととても仲が良い小泉純一郎からしてみると、これは有難いことだろう。で、小泉政権が続く限り、アメリカがブッシュ大統領であるのは都合が良い。アメリカと友好的な関係が続くことは日本にとって決して悪いことではないはずだし。しかしそれはどうしたって対等関係ではない。日本はアメリカの下に自ら納まっている。これでまた新しい関係はしばらく生まれないのでは。アメリカという存在に依存することで続く安定は、更なる展開への足かせでもある。その先は。その次は。とにかくこれで自衛隊サマワへの追加の派遣も決定されるだろう。


■ 一昨日の日記で笑いの視点から浅草を見るという見方が出来るかもしれないと書いておいて、思い出したのは週刊現代連載の中沢新一さん著の「アースダイバー」でそれの参考になる話があったことで、覚書程度にメモしてみる。

■ 浅草という土地はその昔海だった場所で、かつての東京の海岸線は上野辺りだった。上野の山は東京湾に面した岬であり、かつての岬であったその場所はやがて東北との玄関口になる。岬は異界との連絡口。それもまた必然。で、詳しくは書かないけれども、海岸線を埋め立てた土地の上にできたのが浅草だった。そこは地形にも歴史にも縛られない自由な土地だった。東京を歩いていると感じる坂の町という印象は浅草には微塵もない。平坦な町だ。その平坦な土地は、根の浅い、軽さの感覚を持っていた。

■ そしてある時代、それは日本だけでなくロシアやアメリカ、フランスといった世界中の舞台上で歌いながら踊るダイナミックな「からだ」が出現していた。巧みなおしゃべりだけではない、そのユニークな体の持ち主たちのパフォーマンスは、モダンでおしゃれという評価を受けた。こうしてモダニズム文化が生まれる。

■ 世の中にまだ人間的なものが溢れていた時代、そのような「からだ」の動きから、人間が人間を超えた、人間ではないものに触れている感覚を作り出していた。それは人間と動物のあいだの壁を突き崩す力のようでもあり、神話的でもあり、機械的でもあり、人間の体が「ハイブリッド」になる瞬間だった。

■ そういった人間が人間を超える感覚を研ぎ澄ます何かが、縛られない自由な土地浅草にはあった。新宿や池袋、六本木はいい意味でも悪い意味でも歴史的な精神の自由を奪う壁がすでにできあがっていた土地だった。そういった壁を突き崩して、都市に平坦な自由を取り戻せるモデルが浅草にはあった。浅草にはかつてエノケンがいた。

■ かつての「からだ」をそのまま今に持ってくることが果たして可能かはよく分からない。そしてそれが正しいのかも分からない。すでに土地は坂があり、ビルが乱立している。精神的な平坦はしかし実際にあるそういった歪な形の都市と共にあり続けるしかない。きっとそこには「いまのからだ」が存在する。歪に縦に伸び続けるこの都市の間を抜ける「からだ」が。人間の「からだ」に依存することで成り立つ演劇を続けるのだから、そういった「いまのからだ」を考える必要があるだろう。しかしそれは一体どんな「からだ」だ。わからんなぁ。とにかくもう朝。