東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

人と会う週末

■ 秋の気持ちいい天気が続く日々。週末やけに人に会った。

■ 6日土曜日。久々に大学時代の演劇サークル仲間で、東京近辺にいるK、O、U、Mの4人と上野で飲む。一同に介したのは7月にサークルの先輩の結婚祝いビデオを撮って以来。もう4ヶ月も経っていた。早いな。まぁ社会人になったらどうしても都合を合わせるのが難しい。とは言ってもこうやってたまに会える機会があるのは本当に有難いものだ。

■ 話はかつて撮った映像のことが多かったけれども、面白かったのは後輩のOが9月過ぎまで素材を元に編集を続けていたことで、確かリーディングの稽古をしていた頃に「映像が完成しました」という不可解なメールをもらい、それが7月に撮影したもののことと聞いて驚いた。何をそんなに作っているんだ。飲み会の時にCD−Rに焼いたものをくれたのだけれども、本編は20分くらいなのに、その他の予告やらなんやらが同じく20分程あり、その上それが本編の途中で挿入されている構成になっており、作ったO本人でさえ「本編はよく分からないことになっています」という按配だった。

■ 内容は本当に好き勝手やっているように感じられるものの、かといってそれが駄目というわけではなく、むしろとても面白いと思う。自分が楽しければいい。そもそも対外的に発信するものでもないし、自分の思ったとおりに手元にある素材を、自分ができる範囲で作っていくことの醍醐味がそこにはあるはず。Oはパソコンでの編集にすっかりはまったらしく、4月くらいまでにデジタルビデオや新たなるパソコンを買ってまた撮影をしたいと大はしゃぎ。それも楽しい。Oの希望はドライブでどこかをフラフラしながらくだらないことをやっていくことを撮りたいとのこと。4月の暖かくなるあたりに、桜前線を追いかけて北上していくのはどうだろうとか話しになった。そんなことができたら本当に楽しいだろう。

■ Oが編集をした本編を見ると、同じシーンでも僕が作った作品とカット割りや採用したカットが若干違うことが分かる。映像素材はすでに揃っているわけで、その差はつまり編集する主体の感覚の差。リズムの差。どうしてそういう違いがでるのかを考えることは、自分の作品作りの感覚を見つめなおすことに繋がる。そういった意味でも同じ素材で別の人が作り変えるのを見ることは面白い。

■ そういえばその映像を見た北海道にいる同級生のOが久々に連絡をくれて、いろいろしゃべった。そっちのOはいろいろな都合で実家に帰っているのだけれども、電話を聞くに少しずつ元気になっているようで、よかった。また一緒に映像を撮りたい、芝居をやりたいよとOが言ってくれるのは嬉しい。かつての仲間達は全国に散らばっている。それはそれで楽しいし寂しい。何かまたみんなでやりたいと思っても、現実問題それも難しいのかもしれない。だけどいつかどっかでやれる。そういう風に思っていればきっとやれる。そう思いたい。

■ 7日日曜日。東京に遊びに来ていたYしゃんと新宿で会う。これまたゴールデンウィーク以来。とは言っても奈良に住んでいるYしゃんと東京で会う回数は割りと多い。今度は僕も奈良に行きたいけれども、なかなか都合がつかないなと言い分けばかりしてしまう。最初に入った店でも次に入った喫茶店でもいっぱい話した。

■ いろいろな近況を聞いた。いろいろなことをしゃべった。ラジオのころの思い出話もあったけどやはり多かったのは作品を書くということについて。話しているうちに「そういうことを書いていく為に、自分は作品を書き続けたいんだ」ということに気付かされそうなヒントを得た気がした。それは言葉にすると大袈裟なものなのかもしれないけれど、そんなことは全然ないし、きっと今の自分に一番必要なことなのかもしれない。人と話すから気付くこと。話の中から生まれること。そういうことに気付けただけでもYしゃんと会えて、話が出来てよかった。

■ そうやっていろんな人と会った、話した週末だった。楽しい週末だった。