東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

再び、集団について

■ 芝居のことに関して、正確に言うと役者と演出家との関係について少し問題が発生した。演出家が役者に対して健康管理についてメールで発言したところ、そのメールに関してMくんが反論。今回のことは一応、丸く収まりそうだが、やはり急造の集団ではこういう問題が露呈しやすい。演劇をする際、その他の場合でも集団というものに対する考え方は問題になることが多い。演劇を作る集団は友達同士ではない。あくまでチームだ。チームの中でそれぞれが勝手に友人関係を形成することは一向に構わないんだろうけれども、それを強要する権利はたとえ演出家でも持つことは出来ない。そもそも演出家にそんな権限はない。演出家はせいぜい作品に関して権限を持つだけ。厳しいことをいうようだけど、きっとそういうことだ。学生気分でそれをしたいなら一向に構わない。僕も学生の頃の前半はそういったことを楽しんでいた。それはやはりサークルが芝居を作るだけの場ではなかったからだし、そこにこそサークルの持つ魅力がある。でも今回に関しては、誘われたときに演出家の口から「学生演劇と一線を画してやりたい」と言われて参加したわけで、ならばそういう風にやれと思うばかりだ。健康面に関して心配するのは当然だが、健康面をきちんとするのはそもそも役者の責任だ。言われなくても分かっているし、本番直前や本番に体調を崩すような役者に用はない。遊びや曖昧な気分で今回の芝居に参加している気はさらさらない。

■ 今日の日中に4月の公演で照明をお願いしようと思っているSさんと新宿で会う。東口にある面影屋という喫茶店で相談。Sさんはまだ大学生なんだけれども、今年の3月に参加した芝居で照明をやっていて、信頼できたので今回お願いしたかった。それは仕事として、信頼できるからだ。だけど、Sさんの学業の都合でまだはっきりと返事をもらえなかったが、それは仕方がない。それでも出来る限り調整してくれるとのこと。で、借りようと思っている劇場の照明に関して助言もしてくれた。ありがたいことです。僕個人としては是非Sさんにお願いしたい。というかSさんと一緒にやりたいわけです。

■ 少し話しているとSさんが北海道の釧路出身だと分かって驚く。学生の頃、釧路にはよく遊びに行った。思わぬところで会話が弾む。で、釧路に北芸という劇団があるという話しを僕がしたところ、なんとSさんの父親は北芸の主宰の方と知り合いなのだという。なんとも不思議な縁だ。まさか東京で北芸と関係がある人と知り合うとは夢にも思わなかった。学生時代お世話になった帯広の劇団と仲の良い北芸は、帯広でもたまに芝居をやっていて、僕も何回か観たことがある。かつて北芸が上演した別役実さんの戯曲「この道はいつか来た道」は僕が今まで観た芝居の中でも忘れられない好きな芝居の一つだ。

大江健三郎『性的人間』(新潮文庫)読了。60年安保の時代、生きるということ、自分という存在への意識を書いた3つの短編。巻末にある文芸評論家渡辺広士氏の解説文を引用するところの「自己の実存と向き合って生きる人間の真実と、他人達の欺瞞の世界との矛盾関係」を描いた作品群。

■ 右翼に傾倒していく少年を描く『セブンティーン』。しかし、少年は右翼だから傾倒するわけではない。そこに自分の居場所を見つけるから傾倒するのだ。しかし他者はそれを認識してくれない。さらに解説を引用。

『そしてこの変身を「あいつは《右》よ」という他人の声が完成する。これは危険な、不吉な変身の瞬間である。名付けるのは他人達だ。死をもって人を脅迫し、自らしに飛び込む一人の《右》の少年を作るのは、右だけではない。左もそうだ。日本全体だ。』

 大江健三郎は決してこの作品を政治的主張で書いたわけではないだろう。それは人の実存を見つめた結果だ。

■ 『セブンティーン』の続編『政治少年死す』は昭和36年に「文学界」で発表されて、その描写から右翼の抗議を受け、出版社が謝罪をし、大江健三郎自身が右翼団体から命を狙われてしまうという事態に陥って、現在に至るまで刊行されていない。ネットにはこんなページ(http://www.tanken.com/seven.html)もあるし、ちょっと大きめの図書館に行って「文学界」が保管してあれば閲覧は可能だが、今だに公に出来ないということは、それを拒む存在がいるということだ。言葉が圧殺されている。

■ とにかく僕はまた読まなければならない作者に出会うことが出来た。本を読むことは幸いだ。