東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

東京のかたち

■ 今週は関東も寒い日が続くことのこと。自転車で駅まで向かう途中で橋を渡るのだけれども、そこにカモメがいた。なんだか季節を感じる日々。

■週末のこと。17日金曜日。仕事後、有楽町の日比谷スカラ座で『ハウルの動く城』を見る。公開から結構経っていたのでもうそんなに混んでないのかと思いきや、思っていたより混んでいた。さすが宮崎駿作品と言ったところか。で、僕はこれが結構面白かったわけです。いろいろと思うところも多く、もっと時間がある時に、この作品について考えてみたい。それにしても大泉洋が声優をやったかかしのカブは一体どんな役割で作られたのだろうか。なんだかとって付けたような役だった気がした。あとエンドロールを見ていたら、幾人かチームナックスの役者がいたような気がしたが、あれは気のせいか。

■その後、その日が最終日だったので、なんとなく年末ジャンボ宝くじを買ってみる。ちょっと夢見てみたくなったから。宝くじを買ったことがなかったので買い方に悩んだけど、バラで5枚。どうなることやら。1億とは言わないけど10万円くらい当ってくれないかな。甘いか。それにしても買う人たちはすごいな。買う量が尋常じゃない。夢見すぎじゃないか。あと、帰りの電車が酷かった。今まで経験したことがないようなラッシュ。忘年会シーズンと週末が相俟って半端なかった。途中の駅でもう混みすぎて電車に人が入れない状態になり駅員さんが「諦めてくださーい。入りませんよー。」と叫んでいたが、とにかく笑えないほど混んでいた。

■18日土曜日。今日は昼から稽古の予定だったので、稽古場へ向かうために新宿まで電車に乗っていたら不意にメール。「役者で都合の悪い人が続出したので中止にします」とのこと。うーん、こういうメールはもう少し早く送って欲しい。そんなことならぐっすり寝ていたかった。で、新宿でいきなり暇になってしまい、どうしようかと考えた結果、とりあえず散歩することにした。新宿から中央線沿いに東京方面へ。今まで歩いたことがなかったので。まずは新宿の隣の代々木駅まで歩く。新宿南口の紀伊国屋を通り越して少し歩くと都会の喧騒から遠ざかり落ち着いた住宅街になる。そこは千駄ヶ谷の住宅街で、昔から立っているような平屋の家が多い。狭い路地は下町のそれを彷彿とさせるし、なんとなくのどかだ。あの日本一の繁華街からわずか数分の距離でこんな静かな通りがあることに驚きを感じる。

■代々木〜千駄ヶ谷信濃町まで歩く。ウネウネとした坂道が続く。で、信濃町の駅前でふとある光景に気付いた。やけに人が多い。なにかのイベントをやっているのかとさえ思えたが、よくよく見てみると、とある有名新興宗教の施設があった。休日だから集会でもあるのだろうか、そこの前に集まっている人の数が尋常じゃない。はじめてみた光景だったので驚いた。で、さらに歩いているとその他にもいろいろな新興宗教の施設や様々な宗派の寺があることに気付いた。その上、聖教新聞の本社まである。いろいろな人が信じる神様が存在している町だった。そして坂が多い。中沢新一さんの言葉を借りれば「坂という異界」がこの数々の神の存在を許しているように思えた。

■そうやっていろいろな神様が住む町を通り過ぎるために急な上り坂をのぼっていると突然視界が開ける。それまでにはない西洋風の門構えの建物が眼に入る。赤坂の迎賓館だ。一瞬で風景が変容する。この急激な変化は本当に驚く。そこはちょうど新宿区と港区の境目だった。それで少し納得する。赤坂迎賓館前の外苑東通りは港区を横切って芝浦埠頭のある東京湾へ通じる。そこは日本の他の地域や外国との交流の入り口になる。港区は東京の玄関口の存在なのだ。その流れが新宿区の流れと合流する地域。そこが赤坂迎賓館前で、四谷だ。それまでの日本的な空間に西洋の流れが介入してくる。偶然なのか分からないが、確かに港区が近づくにつれてキリスト教の教会も増えてくる。神の存在が多国籍化してさらに複雑な姿をみせる。言葉遊びになるのかもしれないけれども『教会』が『境界』になっているような気にすらなる。四谷は文字通り谷を髣髴とさせる入り組んだ坂道が多い。その場所がこれほどの多数の神の存在を許容しているのだ。やはりここにも「異界」が存在する。

■で、気付いたのが東京という町の不思議な作りだ。まず山手線という円の円周上に新宿、渋谷、池袋、有楽町、上野など遊ぶ・食べるなどのための娯楽施設や性的欲望を埋める風俗の店が存在する。そしてその輪の内側に寺や宗教施設などのそれぞれが信じる神様が存在する。さらにその内側、これは線路で言うところの中央線沿いなのだが、中央線は実は地図で見ると直線ではなく、円形をしている。その環状の付近には教育施設が並ぶ。面白いことに、そういった欲望・宗教・教育の施設が層をなす様に円の中に納まっているのだ。そしてさらにその内側。まさに東京の中心に存在するのが皇居なのだ。

■ここまで来ると、天皇という存在が、どうして日本人の精神の深層に深く刻まれているのか分かるような気がしてくる。東京という日本の中心である街のさらに中心にその存在が置かれているのだ。それは空虚な中心だ。しかしどこか揺ぎ無い。万世一系と称されて、今でもニュースは話題になり、その報道に国民は眼を向ける。教育も宗教も、欲望でさえも東京の中心には存在しない。無意識であったとしても、それはそうやって存在しているというだけできっと「ナニ」かあるのだ。それは憲法の言葉を借りれば『日本の象徴』の住処なのだ。その象徴を中心に形作られた街が東京なのだ。歩くことで気付く視界。まだまだきっと面白いことがあるはず。もっと東京を歩こう。

■19日日曜日。ひたすら稽古。台詞も徐々に入ってくる・・が、しかし。いろいろ思うところあり。だが演出じゃないし、一番年が上というのがどうもネックになって発言しづらい。若い人達が中心でやっているのだ。頭数を合わすために呼ばれたものがズケズケと意見を言っていいのか悩む。もちろん、今は一つの作品を作る「チーム」の一員なわけだから年齢なんて関係なく、気にしないでガンガン言っていいのかもしれないのだけれども。しかし、どうも、なぁ。稽古後一緒に帰ったYさんからいろんな話を聞いてさらに脱力。いや、別にいいんだけど、若い人達の集まりなんだからいろいろありましょう。でもね、なんだかそういうのに関わるのが面倒だよ。おっさんみたいなこと言うけど。本当に面倒だ。少しだけ稽古に出るのが面倒になってきた。いかん、いかんぞぉ。