東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『千鳥終了』

■ というわけで、公演はとりあえず無事に終わった。例によって打ち上げを終えてから、そのまんま仕事場にやってきた。日曜日の公演は1回だけで、公演が17時には終わり、その上そんなに建て込んだ舞台ではなかったのでバラシ作業はとても速やかに終わり、19時半にはすでに打ち上げをしていた。楽しく飲んだが僕は明け方にさすがに疲れて眠ってしまった。まぁそのおかげでなんとか今は体力を取り戻している。

■ いろいろあったが、いろいろ学べたような気もする。人が書いた台本を演出したのも初めてだったし、そういうことを出来たのも楽しい経験だった。ただ、まぁ疲れた。初めての経験だったのは徹夜稽古だ。13日の水曜日に22時まで稽古をしたあと、場所を中野に移して稽古をやった。夜間(23時から翌7時まで)に借りられる稽古場があるのも知らなかった。最初はもちろんどこかで休憩を挟みながら休んで稽古をするつもりだったけれども、結局朝6時ごろまで稽古をし続けた。そしてそのまま仕込みに向かった。あれはちょっときつかった。学生時代に芝居をやっていても経験しなかった。まぁ音響作業をA管理人だけが徹夜でやっていたことがあったが、それは彼の責任もないわけではなかったし。

■ 笑いを重視して作ろうとすることの難しさ。もちろん芝居を作る僕達の中でも好みが分かれるし、お客さんだって笑いの好みが十人十色。4回あった公演の中でもお客さんの反応は様々だった。笑いっていうのは本当に難しい。

■ いろいろな人が観に来てくれた。久々に会う人もいた。劇場に来てくれて少しでも話が出来るのは本当にうれしい。

■ これからどうしようかと思っている。くだらないことや笑いはとても好きだ。まだ僕自身笑いに関して全然足りないところがあるし、今回の作品にしても考えなければならないことが多い。だからもっともっと笑いのこととかをしっかり勉強したいとは思うけれども、かといってそればかりを徹底的に追求したいとはやはりどうも思えない。だからって感動させたいとかいうわけではない。全てが平等に存在する世界を作りたい。笑いも悲劇も感動も差別も嫉妬も快楽も全てが等価に存在してある世界。それを極力そのまま舞台に乗っけられたらいいなぁとおもう。観客はその世界をただ俯瞰しているように観る。そういった話。今回、僕達が作った、こう書くと他の参加者に失礼なので、すくなくとも僕が作った作品は、今の世界の「事実」が存在していない話だった。拡大する反日や今でも続いているイラクの戦争。相変わらずの不況。情報過多のインターネット時代。そして今の日本。そういった「事実」をまったく『ないことにして』作られた話に感じる軽さ。少なくとも僕にはただ単純に『面白かった』というだけではなんだかどうにも締りが悪い。

反戦を訴えたいわけではなく、今の日本を嘆くわけでもなく、この時代を生きている人をただ切り取って舞台に乗っけたい。それは一体どんな戯曲なんだろう。

■ で、今朝。朝5時の新宿に僕はいた。早朝、始発電車を待っている人たち。元気な学生風の人もいれば、疲れきった中年もいて、水商売をしていそうな女性が家路に戻るためなのか駅に向かっていたりしている。そうかと思えばとても早い時間に会社に通勤していると思われる人もいる。疲れて路上で座り込んでいる人もいる。その近くにホームレスがいる。カラスがごみを漁っている。老人もいる。若者もいる。男もいる。女もいる。日中や夜にはない静寂。いや、音はある。車は走っている。早朝なりの騒がしさがある。僕はその光景が好きだ。祭りの後のようでもあり、新しい一日の始まりを予感させるようでもある。この風景や空気を舞台にあげれないだろうか。それがずっと前から考えている僕の芝居だ。

■ いつかこの風景をビデオに収めてみようと思う。もっと新宿を、東京を歩こうとも思う。そして戯曲を書く。早朝の新宿の空気を描けるような戯曲。いろいろなものをインプットしていこうと思う。5月や6月は、いや、別にそれ以降もずっと、とにかく歩いてみようと思う。

■ なんにせよ、1月の終わりから続いた『千鳥日記』は今日で終わり。明日からまた新しい日々が始まる。暖かくなる季節。新宿やその周辺を歩いたりする日々。他。楽しい日々になればいいなと思う。