東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『東京と靖国』

■ 昨日は久しぶりに稽古に行った。3月からは持ち寄った台本をやるとのことなので、一昨日の夜勤のときにいそいそと台本を書いたら、それをいきなり読むことになった。しかし反応はいまいちだった。駄目か。最近いらんことばかり考えすぎて、笑いを考えられないのか。いや、それ以前に、笑いに関して僕はまだまだ勉強不足なのか。笑いをなめてるつもりはまったくないけど、やはりハードルは高い。中途半端な気分では駄目だ。そんな感じで昨日の夜は勝手に落ち込んだ。

坪内祐三さんの「靖国」(新潮文庫)読了。こういう本を読むと、いかに偏ったイメージで靖国神社を捉えていたのだろうと気付かされる。靖国神社建立当時、そこは今のようなしがらみなどなく、人々が集う場所だった。それがやがて変わっていく。日露戦争や太平洋戦争を経て。本書の中で「地霊」という言葉が使われているけれども、こういうのはあるんだと思う。その土地に作られたからこそ、背負うもの。人の手にせよ、自然の流れにせよ、靖国が作られた土地の持つ何かしらの力というものの作用はあったはずだ。

■ そういえば、大阪や奈良を実際に見て、ずいぶん平たい土地だなと思った。周りには山があるけれども、周辺は基本的に平地だ。だからこそ、かつてそこにあった都は広大な土地に碁盤の目状の都市を形成したのだろう。京都出身のKさんが以前、銀座は碁盤の目になっているので、(京都と雰囲気が似ていて)なんとなく落ち着くというようなことを僕に言ったことがあったが、逆に考えると東京の入り組んだ坂の雰囲気がKさんにとっては少しばかり居心地が悪いということなのではないのだろうか。

■ 銀座の周辺はかつて東京湾だった。つまり海。そこを江戸時代以降に、埋め立てて作られた新しい土地だ。分ける必要もないのかもしれないけれども、もともと縄文時代くらいから存在している皇居周辺から上野公園の付近の土地と埋め立てられて作られた銀座や浅草などでは土地という点で根本的に違いがあるのかもしれない。

週刊現代誌に連載されている中沢新一さんの「アースダイバー」で皇居の話をしていた。つまり天皇の住む場所に関して、だ。平安や平城の都は奈良や京都といった平地に作られた。(もちろん肉眼でという意味ではなく)政権の指導者が開けた空間に住居を構えることは重要なことだという。その点で平安や平城の都は天皇と民衆が同じ空間に住む土地だ。しかし天皇は政権を支配しているだけの存在ではない。それは万世一系の存在としてあがめたてまつられなければならない。つまり神秘の存在とでもいいますか。しかし同じような地平の開けた空間に土地を構えているだけでは、その神秘の存在にはなれない。だから彼らは深い山や森へ行った。京の天皇にとって和歌山の熊野や吉野を訪れることが、森や山の持つ神秘の力を自分に取り入れる為に必要なことだった。だから彼らはそこに詣でた。山や森に触れた。

■ しかし江戸時代、中心が関東に移ってしまい、明治に至る。天皇は東京の平坦ではない坂の土地に深い森のような皇居の中にその身を隠してしまった平地では無い、まったく開かれていない、深い森を模して作られた皇居。ここに近代天皇制の抱える複雑さがあるという。政権を握るような存在でありながら、開かれた空間にはいない。神秘の力の源となる山や森に直接行かず、東京の入り組んだ地形の人工的な森に潜む。そこは空虚な中心。その空虚な中心は、かつて存在した天皇制とは一線を画す近代天皇制の持つ複雑な構造を備えている。

■ そんな東京という土地。空虚な中心から円形に広がる山手線。新宿、渋谷、池袋、そして東京。その中を横切るようにある中央線。東京と新宿をつなぐ真っ赤なフォルムの電車。網の目のような地下鉄。同じく円形に広がる道路。環状線。東京の地図を見るたびに思う。血管のようだ。心臓を中心にめまぐるしく張り巡らされている。しかし心臓である皇居にはどれもたどり着けない。そんな土地。日本の中心といわれる場所。この土地がもつ「地霊」とはなんなんだろうか。そしてそこに生きる人間は、この土地とどう接するのだろうか。そこには大阪や北海道、九州とも違う、この土地の持つ宿命があると思えてならない。

■ そんなことばかり考えている。まったくちっとも笑いとは違う世界だ。しかし今はそんなことにものすごく夢中になっている。