東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

千鳥日記『関西旅日記』

■ というわけで3月になった。2月も終わった。夜勤ということで会社にいる。家のパソコンの調子が悪く起動できない。愕然とする。あとは昨日からずっと寝ていた。金曜の夜から旅にでて、月曜の朝に戻ってきた。以下、詳細。

■ 25日(金)深夜バスは初めてなわけで、比べるとかは出来ないんだけど、席は一人ずつ独立しているシートが3列あるようになっていて、そんなに苦痛ではなかった。前に座る親父がものすごくシートを下げてきた以外は。別に下げるのはいいんだけど、一声くらい掛けてくれないもんかと思う。残念なのはカーテンを閉めてしまうから外の風景が見れないこと。そういう意味で深夜バスは『移動手段』でしかなく、旅の途中は楽しめない。しかしなにせ安い。今後もかなり使える。

■ 26日早朝。奈良の天理へ到着。バスは大阪のUSJが終点だけれども、ほとんどの客がここで降りていた。前の親父も降りていた。どうやら家族5人で旅していたようだ。まだ早朝だからということもあるのかもしれないけれど、天理駅前はとても静かだった。と、思ったら天理にゆかりのある宗教の方々が数人その教団の名前の書いてあるハッピを着て駅のホームへ。早朝なのにやけに多くの人がホームから降りてくる。その人たちをハッピを着た人が笑顔で歓迎していた。いきなりすごいものと遭遇した。

天理駅からYしゃんが指定してくれた駅へ向かう。周辺は山に囲まれた盆地。土曜の朝なのに高校生らしき人が電車には多く乗っていた。あと、駅名とか地名に使われる漢字が難しい。それも土地柄か。指定した駅に着くとYしゃんがいた。自転車に乗っていた。なんといいますか、自転車に乗っているYしゃんを見るのは初めてで、ただそれだけでなんとなく新鮮。まだ朝も早いからということでYしゃんの家に行くことになった。家についてから何故だかライブドアとフジテレビの問題を話したりした。それはとてもためになったし、Yしゃんらしい考え方でその問題に意見していてすごいなと感心した。しかし今から思うとなんであんなに朝もはよからああいった話とかに盛り上がっていたのだろう。

■ 少ししてから結婚祝いや就職祝いの品を買いに近所のデパートへ。その道すがら周辺の遺跡などを案内してもらった。藤原京跡地や大化の改新のあった場所や聖徳太子が生まれた場所など。なんだかすごい土地だ。なにせ聖徳太子だ。どこか僕が住んでいる土地と違う感じがする。それこそ土地の持っている空気というか、そういうものの違い。

■ 昼過ぎに名古屋から来たHと合流。3人で奈良公園へ行く。鹿が想像以上にいる。好き勝手いる。もっと特定の囲いとかの中にしかいないものかと思っていたが全然違った。天然記念物の指定されているらしく、奈良では鹿はとても待遇がいいそうだ。車で轢いてしまったりしたら罰金だそうだ。鹿様だ。そのせいか鹿は奈良公園ではばをきかせていた。4月に使う芝居で使えるかもしれないという漠然とした発想からビデオカメラを持ってきた僕は嫌がるYしゃんにカメラを渡した。注文は「僕と奈良っぽい場所を撮ってくれ」。Yしゃんが嫌がるのも解る。なぜか僕は撮影のために奈良公園を走っていた。ひたすら走っていた。東大寺南大門の前を走った。奈良の大仏のある寺の前も走った。なぜあんなに走っていたのだろうと思うくらい走っていた。

奈良公園を堪能してから大阪へ。それにしても奈良〜大阪間は車でそれほどかからずに行ける。便利だな。土曜ということで大阪市内は混んでいた。新大阪の辺りでSと合流。SとHは新大阪の駅から徒歩数分のところにホテルを取っていたのだけれども、Sはそのホテルの場所が分からなかったらしく、そんなSがホテルへたどり着く為にとった手段がタクシーだった。彼女がタクシーの運転手に行き先としてそのホテルを告げると運転手はあまりの近さに「はぁ!?」と言ったそうだ。おそらく1メーターだったのだろう。そのうえ、運悪く財布に小銭がなかったSは料金を払うのに1万円札を差し出したそうだ。運転手は言った。「はぁ!?」。それはおそらくその日2回目の心の叫びのこもったはぁだったに違いない。

■ 車を止めてから待ち合わせ場所へ。同じSでも先輩のSさんが待っている場所へ向かう。と、その途中でばったりSさんと出会う。梅田駅の人が沢山いる場所で、だ。Sさんは待ち合わせ場所が分からなかったらしく、うろうろしていたそうだ。その近辺が待ち合わせ場所だったにしても、こんな人ごみの中でよく巡り会ったものだ。

■ めでたく全員会えたところで、Yしゃんが予約しておいてくれたお好み焼きの店へ。就職祝いや結婚祝いも概ね喜んでもらえた気がする。その日はとても楽しかった。仕事も決まって、きちんとしているHやSやSさんから色々とアドバイスや説教をくらいながら、横のYしゃんからもいろいろ言われながら、僕はなんだかとても楽しかった。酒に相変わらず弱い僕は、他の人たちとほとんど変わらない量で効率よくすっかり酔っ払ってしまった。2次会の店で、勢いでテキーラを2杯一気に飲んでしまったあたりからどうも記憶もおぼろげ。正直、別れ際はあまり覚えていない。気がついたらYしゃんの運転する車で奈良のYしゃんの家へ帰っていた。確か、A管理人にも浮かれて電話をしたが、Sさんが問答無用で携帯を切っていたな。なんにせよ、楽しい夜だった。

■ 次の日はテキーラが抜けきらない身体を動かしながら、再び大阪へ。Yしゃんと別行動して一人でふらつく。昨日は梅田を歩いたので、心斎橋の周辺を歩く。確かに梅田とは違う雰囲気。グリコの電光掲示板やくいだおれ人形など、よくテレビでみるものも見た。驚いたのは、心斎橋の付近にでかい観覧車が作られていたことだ。確か名古屋の市内にも観覧車が作られたとニュースで言っていたし、梅田の町にも観覧車があった。西日本は観覧車ブームなのか。宮沢章夫さんが遊園地の乗り物ではありながら、観覧車が他と違うのは、それが「ただ単に観覧するための乗り物」だからということを言っていた。ただ見るためだけの乗り物。それが街中に作られる。ただ街を観覧する。なぜそんなものが街中に作られるのだろうか。ブームというものはたまによく分からない。

■ 次いで新世界に行ってみる。地下鉄の階段をあがると通天閣が目の前にあった。じゃんじゃん横丁はとても面白い雰囲気だった。将棋をさしている人がいっぱいいた。昼間なのに立ち飲みの店が繁盛していた。ゲームセンターに人が溢れていた。おっさんたちが周辺で井戸端会議をしていた。あの雰囲気はなんなんだろう。なんだか面白い。東京でいうと浅草に似ている。なにより新世界というネーミングがいい。せっかくだからたこ焼きも食ってみた。美味しかった。

■ 夜はまたYしゃんと合流。仕事場の同僚という方も一緒に夕飯を食べる。この同僚の方がなんとも面白かった。あまりいろいろ考えるのが嫌いな人らしいんだけれども、僕もYしゃんもいろいろ考える方なわけで、僕が何か言っても大体「はぁ」と返してきた。確かにね、俺は何をそんなに考えているのか。無駄なことばかりいろいろ考えている。しかしそれが楽しくて仕方がないから性質が悪い。

■ Yしゃんにはまた深夜バスの停留所まで送ってもらった。酔っ払った俺を収容してくれたりとお世話になりっぱなしだった。久しぶりにみんなといろいろ話せてよかった。今後の自分のことも考えなくてはいけないなぁと思った。なんにせよ、みんなそれぞれ、楽しくやっているみたいでよかった。たまにこうやって会えれば楽しい。

■ 話はこれで終わらなかった。深夜バスの停留所でバスを待っていたら見覚えのある親父が来た。例の親父だ。週末を旅行に使っていたのならば、確かにまた会うのも偶然ではない。頼むから今度は前に座らないでくれと祈った。バスが来て乗り込むと、親父は僕とは別の列に座った。僕の前にはその親父の奥さんと思われるおばさんが座った。ほっとした。おばさんは僕に向かって言った。「すいません、シート下げてもいいですか?」。そう、一声かけてくれればいいわけだ。そうすれば下げられるのも苦にならない。それがコミュニケーションというものだ。その心得を親父にも教えてあげて欲しい、そう思った。僕は「いいですよ、下げてください」と言った。

■ おばさんはものすごくシートを下げてきた。それは親父を越えていた。ああ、まぁそのこっちもね、いいですよって言ってしまったしね、今更なにも言わないけれども、ええ、まぁ、世の中は声の掛け合いでね、あとはまぁ我慢しますから。僕はそう思いながら狭くなってしまった座席に窮屈になりながら夜を行くバスの揺れに身を委ねた。

■ なんにせよ、こうして旅は終わった。楽しかったけれども、できればもっとゆっくりと時間をかけて大阪を歩きたいと思った。

■ 3月が始まる。新しい月の始まりだ。