東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

M君が笑わせる

■ 今日は今年最期の夜勤で、最期の仕事。明日の朝で、今年の仕事は終わる。

■ 仕事先の人とはだから次に会うのは来年だ。ということで、自然と挨拶が「良いお年を」になる。そういって別れる。そう口にすることで今年がもう終わるのだと実感できる。

■ とはいっても2004年が2005年になるといったこと、年を越すと言うことがそんなに大袈裟なことではなくなってきた。子供の頃、深夜0時を過ぎても起きていられるということが、我が家でもやはり許されて、それがやはり子供の自分にはうれしかった。毎年、大晦日は決まってすき焼きだった。紅白を見て、ゆく年くる年を見て家族でトランプをやった。それが大晦日だった。確かに特別だった。

■ 変わったのはやはり大学に行ってからだ。最初の2年はそれでも冬休みの度に実家に帰っていたが、3年からは実験の都合もあって帰れなかった。そうだ、確か3年の時の大晦日の夜は分析に必要な牛の糞や尿を採取していた。あれは今から考えると哀しい夜だった。それからはなんだか大晦日は特別な日ではなくなってきた。夜更かしはいつものことになっていたし、家族で居たとしても、トランプもしない。すこしだけテレビの特番が多い日といった具合になっていた。

■ 1月には芝居の公演がある。年を越えても変わらずに稽古だ。そうやっていつの間にか2005年になっているんだろう。今年1年、僕は何をしていただろうか。先輩の結婚式のお祝いに映像を作っていた夏。入道雲ばかりみていた。札幌の夜に見た月は本当にきれいだった。リーディングはとても大事な経験だった。戯曲を書くことを改めて考えることができた。演出することを改めて考えることができた。そして富士山を見ていたら冬が来た。おじいちゃんが亡くなった。佐賀で夜の深さを知った。2004年が終わる。

■ 時間が空いたので買いたい本を探して本屋をうろつく。しかし目的の本は見つからず。内田百輭『東京日記』(岩波文庫)を購入。で、古本屋をふらふらする。宮沢章夫『青空の方法』(朝日文庫)、中上健次『十八歳、海へ』(集英社文庫)、網野善彦『日本社会の歴史(上)』(岩波新書)を思いつくままに購入。年末から三が日は時間があるからゆっくり本を読めればいいな。

■ 稽古は続いている。一緒に芝居をしているM君が演出の目を盗んでみんなを笑わせる。特に僕は標的にされる。稽古中でもお構いなしだ。それに負けて笑っちまう。おのれ。しかし面白いんだ。いや、稽古中だ、笑っている場合などではないんだが。M君は基本的に芝居を壊そうとする。それは真面目に立つ事を拒む姿勢でもある。それが悪いとは思わない。M君の持ち味はそこにあると思うし。かえって真面目という殻に閉じ込めようとするときっと窮屈な体になってしまう。しかしそこが今回の演出の方向性と若干ズレがあるように思える。そういう時、どうすればいいのだろうか。まぁ結局、演出がそれでも一つの方向を要求するのならば、役者はそこを目指さなければならないのかもしれない。リーディングをやったとき、他の3人の役者と違いM君は事情により途中参加だった。他の3人とずっと稽古をやっていたとき、芝居がずいぶん硬直した作りになっていた。M君はそれを壊しにかかった。最初、僕はその行動に戸惑い、そういう風にやらないでくれと言ったが、いつの間にかその身体が芝居に馴染んできたような気がした。硬直していた芝居にやわらかさが入ったような感じになり、芝居の幅が広がった。他の3人の身体も柔らかくしてくれた。Mくんはそういう身体を持っている。

■ 今日、本を読みながらマクドナルドのビックマックを食べていたのだが、あれは非常に食べづらい。縦にでかい。一口で口に入りきらない。そして汁がこぼれる。本も読めずにビックマックを食べることに悪戦苦闘をする。ビックマックを食べるとき、人は無防備になってしまう。一つ学んだ。そんな暮れの一日。