東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

2004年の終り

■夜勤明けの昨日、東京には雪が降った。今年の初雪だ。とてつもない寒さだ。風が痛い。北海道にいたころ、雪が降るときは寒くなかった。帯広の冬はいつも氷点下の気温で寒かったが、雪が降る直前、気温が少しだけ上がる。0度以上になる。それが雪が降る条件の気温なのかは知らないが、「寒くないな」と感じると決まって雪が降った。

■しかしやはり関東ではそうはいかない。寒かった。あんなに寒かったのに湿気を含んだ雪はアスファルトに留まることなくすぐに解けて消えて、今日の朝にはもうなくなっていた。すぐに消えてしまう雪。関東の冬。

■稽古まではまだ時間がある。午前中に仕事が終わってしまうのに、稽古場の都合で昨日は夕方からの稽古だったので、どうしたって時間が余る。で、結局映画を見ることにした。新宿のK’s cinemaで塚本晋也監督の『ヴィタール』を見る。記憶が無くなった青年が解剖実習にのめりこんでいくうちに、現実とその他の世界との区別がつかなくなっていく物語。偶然、交通事故で失った恋人の体を解剖することになった青年は、彼女の体を開いていく。骨格、筋肉、神経に彼女をそれこそ分解していく。極限まで肉体と見つめ合う。陰気な解剖実習室での解剖実習と沖縄の海のシーン、工場の煙突から排出される煙の画や雨の降る街の描写が次々と展開されていく。決してそれらはつながることなく、ごつごつとして並列に存在している。
 
塚本晋也監督の映画を見るのは『六月の蛇』につづいて二本目だけど、この人の作品はいつも肉体と向き合っている。代表作『鉄男』は体が機械化していく男の話だし、『東京フィスト』は東京でボクシングをする中年男の物語だ。鑑賞後、本屋で塚本晋也監督がインタビューを受けている雑誌「SWITCH」を読む。以下、インタビューに答える塚本監督の言葉の抜粋。

 『常に都市が肉体を圧迫するものとしてあって、主人公は都市に対抗するためにもがき苦しんでいたわけです。それが「六月の蛇」あたりから都市よりも肉体の方にカメラが寄っていって、「ヴィタール」ではカメラが内部へ突入した』

 『現代の人を、意識と肉体の関わりの希薄な人として描いた』

 『人間の意識というものが体のどこにあるのだろうと解剖実習に参加させてもらったときに探したが、意識というものはなかった。ご遺体は完全な機能だった。だけど生まれた子供には意識プラス何かがある』

 『ご遺体という自然、都市の中の自然、ドロドロの温度の高いところから妙に涼しい居心地のいい場所にでた』

 解剖の描写はリアルなのに気持ちの悪さはなかった。すでに亡くなってしまった人の体にはもはや恐怖を感じさせるものはなく、ただそこにあった。愛した人の体を徹底的に解剖する。解剖していけばいくほど、愛するという感情の存在は無く、機能としての肉体しかそこにはない。どうしてそういう機能の存在の肉体からそれとは違う感情が発生するのだろう。肉体を極限まで見つめることで見えてくる感情とは別の世界を、塚本監督は沖縄の海や自然の風景として描写した。海は生命が誕生する場所。感情がない(と思われる)自然の木々はそれでも成長(生きている)している。突き詰めて人間もそこにある。後半、沖縄の海でダンスをするシーンがあるが、それは予定調和のダンスではなく、肉体の跳躍が次の振り付けを呼び起こすような連鎖で繰り広げられるダンスだった。感情といった副次的なものではない、肉体の悦び。生きるという折り重なり、積み重ねの連鎖。

■そういったわけでとても刺激を受けた。新宿から横浜へは湘南新宿ラインという電車に乗ることで30分ほどで行ける。いい頃合になったのでその電車に乗り込む。するとメール。「仕事や体調不良の方が多く、稽古は中止にします。」そうきたか。時既に遅く、僕は横浜へ向かって走り出していた。スムーズに行ける電車だからこそ途中で止まる駅が少ない。そのうえ、うまく引き返せないから結局横浜まで行かなければならなかった。なんて無駄なことをしているんだ。呆然としたまま横浜へ向かった。

■時間があいたので、本当は今日の昼に会う約束をしていた展覧会をいっしょにやったIさんと会うことにする。御茶ノ水へ。Iさんは仕事の傍らバンドをやっているのだけれども、その時、ギターのエフェクターを選んでいて、16000円ほどするエフェクターを購入していた。音楽に無知な僕にはそれがどのくらいのものなのかよく分からないのだけれども、そんな高価なものをさらっと買ってしまうとは。音楽のことを話しているときのIさんはとても楽しそうだ。

■その後、Iさんと御茶ノ水にある喫茶店で話す。本当に刺激になる話で楽しい。僕がこの前、ある事情でIさんに見せた本に関する話から、日本に今もある相対主義、言葉にしてしまうからこそ、それ以上の思考が停止されてしまうこと、そういうことから離れていかなければならないこと、しかし言葉は他者へある事柄を伝えるために欠かせないもの、だからこそ『どういう風に言葉を紡ぐか』を考えなくてはならないということなど。そして言葉を紡げたとして、ではどうやって社会と向き合うのか。やがてどんどんふくらみジャック・デリタの脱構築にまで話は及んだ。僕はジャック・デリタについてまだ無学だ。学生時代に哲学を専攻していたIさんからいろいろと聞く。刺激になる。考えなくてはいけないことはいくらでもある。

■こうして今年は終わる。とりあえず明日はこの日記を更新しないので、今年は今日で終わり。と、言ってみたところで来年も何も変わらずこの日記は続く、予定だ。いきなり1月には芝居がある。そして次は4月に芝居。3月に26歳を迎える。20代もいよいよ後半へ。2005年は慌しく始まる。とりあえず自分がこうだ、と思う『前』に進んでいくしかない。それが僕の修業だ。

 そういうわけで一区切り。皆様、「良いお年を」。