東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『薦めたり薦められたりな日々』

■ 借りていたビデオを返しに行ったら、その日そのレンタル屋がたまたま半額レンタルの日だったので、CDを衝動的に6枚ほど借りしてしまった。まぁタイミングというものですな。そういったわけで最近は借りたYUKIのアルバム「JOY」ヘビーローテーションとなっている。特にシングルカットもされている「JOY」はいいなぁと思う。

■ その他にも古本屋で2冊ほど文庫を購入。さらに図書館で本を借りる。インプットの日々。そういった日々はとても楽しい。

中原昌也さんの『あらゆる場所に花束が・・・・・』(新潮文庫)がとても面白かったので、誰かに薦めたくなった。そういったわけで来年の3月に一緒に芝居をするMくんはこういう作品が好きなんじゃないかなと勝手に憶測して薦めてみた。するとその代わりということなのか、南木佳士さんの『冬物語』(文春文庫)を薦めてくれた。僕はこの方を知らなかったのだけれども、なんでもMくんはこの作品をヒントに4月の台本を書き上げたというのでそれは是非と思い早速購入してしまった。短編集という手軽さもあってあっという間に読みきってしまった。面白かった。臨床内科医の肩書きを持っている筆者ならではの死生観がある。末期癌で命を落としていく方々を目の前で見続ける立場にいる方の死というものへの意識。医者なのだけど安易なヒューマニズムの持ち主ではなく死も生も同列に見つめているような気がする。かなり割り切っている。いや、むしろ医者だからこそか。

『だからといって死が怖くないわけではない。むしろ誰よりも死を恐れているからこそ、日常茶飯事の範疇に取り込もうと懸命になっている。このあたりに小説を書く、あるいは書かねばならない事情があるのだ。』

とは、あとがきにある南木佳士さん自身の言葉。短編集なのだけど描かれる物語は全て医者の話だ。そして同じシチュエーション。内科の医師が主人公で舞台は信州長野。御本人が経験されている実話ではないかと思うようなリアリティを小説に感じる。まぁ実話だとしてもフィクションだとしてもそんな違いは些細なこと。愚直なまでに同じような物語を書くそういう姿勢がむしろ書き手の強い意思を思わせるようで、一気に引き込まれてしまった。

『未来の死について考えているのはあくまでも現在の自分でしかない。未来なんて誰にも見えるはずはないので、今の生をありのままに体感するしかないのだ。そう自分に言い聞かせて毎日をうっちゃっている。』

諦念とも思えるような発言の中に、それでも日々を生きる姿勢も伺えるような気がする。そこに強さを感じる。他にも『破水』という初期の作品はまた文体が現在と異なり刺激的だという。それも是非読んでみたい。

徒花という劇団がある。僕は2回ほどこの劇団の公演を観たのだけれども、すっかり虜になっている。この劇団の前回公演が実は僕の出演していた4月の公演と丸被りだった。とても楽しみにしていたのだけれども、さすがに自分が出ている芝居を蔑ろにして見に行くわけにもいかず、泣く泣く諦めた。それの代わりというわけではないんだけれども、この劇団の芝居も薦めてみた。同じくMくんと、芝居といっちゃあ稽古場の斡旋でお世話になっている阿佐ヶ谷のFさんに。まぁこれも好みの問題で、この2人ならこういう劇団が好きなんじゃないかなと憶測してなわけだけど。詳しい感想は聞いてないけれど、2人ともとてもよかったと言ってくれた。なぜか自分のことのようにうれしかった。まぁ実際、まったく見ず知らずの劇団なわけだけど、素敵な劇団はどんどん広まってくれればいいなぁと勝手ながらに思っている。ホームページもとっても充実している。主宰の方の日々の日記も素敵だし、何より僕が好きなのは主宰の方が撮っている写真だ。とっても素敵だ。写真一つとっても、主宰の方のモノを見つめる素敵な目線を伺えて、本当に刺激になる。

■ で、南木佳士さんの本のことでMくんにメールしたら、こんな返信がきた。

「来週、徒花の主宰の方とお会いします。芝居の出演依頼をしてみます。」

これには驚いた。なんて素早い行動だ。僕なぞ、ゆっくりお話をしてみたいとは思ってみても、近づこうなんて考えもしなかった。それを初めて芝居を観にいった直後に、一気に知り合いになったうえに、出演交渉まで試みるとは。おそらくこの辺がMくんのすごいところで、即座に行動に移せるところが僕にはまったくといっていいほど欠けている部分なんだろうと思う。それに何か打算があって動いているわけではなく、自分が面白いと思ったことに純粋に行動できるところ(まぁこれはあくまで僕の視点からなのですが)がいいなと思う。こういった積極的な姿勢は見習いたい。それにしても素早い。

■ なんにせよ、こうやって薦めたり薦められたりしているのは楽しい。