東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『運動が意味を超える心地よさ』

■ 昨日、池袋の新文芸座でオールナイト上映された『タルコフスキー傑作選』を観にいった。オールナイト初体験。超満員。一応念のために事前にチケットを購入しておいたのでわりといい席で観られたが、当日ギリギリに来ていた人は急遽用意されたパイプ椅子に座ることになっていた。どんな映画でもパイプ椅子は辛いな。しかもオールナイトでは。

■ それはともかくタルコフスキー初体験。上演されたのは順番に『ノスタルジア』惑星ソラリス』『僕の村は戦場だった』の3本。上映時間の兼ね合いかそれとも意図的なものものなのか、『ノスタルジア』がタルコフスキー後期の作品で徐々に歴史を遡るように昔の作品が上映されるプログラムになっていた。以前から映画の本やなんかで聞いていた所謂タルコフスキー独特の世界観や映像美は『ノスタルジア』でこれでもかといわんばかりに伺えたけど、それが『惑星ソラリス』や『僕の村〜』ではまだそういう雰囲気は少ないように感じた。

■ あまりよくは分からないけど、『ノスタルジア』で既に確固として存在していると思われる撮影スタイルのようなものは(もともとタルコフスキーの中にあったのだろうけれども)、積み重ねられる映画人生の中で徐々に研ぎ澄まされていったのだと思える。なにせ長編デビュー作の『僕の村〜』で既にヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞しているわけだからもうそれで映画作りのスタイルを完成させても問題ないようなところにいるのに、『ノスタルジア』ではそれがとんでもないとこにたどり着いているのだからたまげる。『ノスタルジア』は本当によかった。登場人物の一人がローマの広場で演説をするシーンがあるんだけど、そこでその演説を聴く聴衆の佇まいの描写が好きだった。なんか、ただ立っている。ただ立っている人たちがなんだかいっぱいいて、それを引いた画で押さえてあるんだけどこのシーンがよくわからないけどきれいに思えた。ただ立っている。ただ座っている。ただ見つめている。いたるところにそういうシーンがあるんだけどそれがとてもいい。内容云々をおうことよりもただそういった画面を見つめることが心地よい映画だった。

■ 今回はそういう風にタルコフスキーの映画の歴史を顧みるようなプログラムだったのだけれども、次回のタルコフスキー傑作選は『惑星ソラリス』以降の作品、『鏡』、『ストーカー』そして遺作『サクリファイス』の後期の作品群を上映するらしい。そんなのを上映されたら観にいきたいに決まっているじゃないか。ナイスな作戦を立てている、新文芸座

タルコフスキーを見る機会にチェックしたいと思っていたのが『惑星ソラリス』で使われている日本の首都高速のシーンだ。『惑星ソラリス』は未来の世界のお話なんだけど、未来都市を登場人物が車で走るシーンに日本の首都高速が舞台として使われている。つまりこの映画ができた1972年、タルコフスキーが描く『惑星ソラリス』での未来都市のイメージが日本の首都高速だったというわけだ。なにせ旧ソ連の映画監督。その人がわざわざ首都高の撮影に日本に来ているのだからそれ相応の思い入れがあったのだと思う。結局その時に日本に来たのが最初で最後だったらしい。

■ 確かに首都高は東京の街の中を時には高架で、時には地下道で網目のごとく入り組んでいる。ちょっと類を見ないつくりだ。車を走らせた経験の持ち主なら理解できるかもしれないけどジェットコースターに乗っているような体験だ。しかも走る車の横を見ると東京のビル群。諸外国の方々の目にも首都高はとても印象深く映るのではないだろうか。

■ ただちょっと気になるのが、この首都高が映画の中でそのまんま使われていることだ。つまりその当時走っていた日本車やトラックが平気で走っていて、ビルには日本語の看板が当然のように映りこんでいる。そういうものを加工する技術がその当時無かったのかどうかは分からないんだけど、とりあえず日本人がこのシーンを見たら明らかにこれは日本の首都高だと理解できることになっている。で、またもや登場『東京スタディーズ』の中に『映画の中の日本』というテーマで中村秀之さんがそのことについて書いている。

■ このことに関して中村秀之さんはこう語っている。

アンドレタルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972年)がその首都高を未来都市に見立てていることはよく知られている。風景があからさまに東京のそれだと認められることや道路標識や車体に書かれた日本語がはっきりと映し出されていることに鼻白む向きもあるようだ。しかしそのような観客は画面に現れた文字を読んでいるだけであり、画面上の風景を表象として納得しているだけなのであって、端的に映画を見ていないのである』

日本人以外の人にとって、もしくは首都高の存在を知らない人にとって、このシーンに使われている場所がどこにあろうが知ったことではない。首都高が『日本にある』という情報は表面上のものでしかなく、タルコフスキーはもっと深層の部分で首都高の持つ特性を用いたいから首都高を選んでいるのだと思う。だからタルコフスキーにとって表面的な情報を提供するにすぎない看板や道路標識が画面に映りこむことなどどうだっていい些細なことだったのではないのだろうか。で、じゃあどんな見方が「端的に映画を見ている」ことになるのか。

■ そのことについて中村さんは小津安二郎監督の『東京物語』の1シーンを引用して説明している。思いっきり長くなるけどせっかくだから引用(一部文章のつながりの都合上独自の編集あり)。

『たとえば『東京物語』(1953年)の風景に復興日本の明るさや穏やかさを見出し、東山千栄子笠智衆の夫婦が遊覧バスに乗る場面では、車窓を流れている街路に、和光ビル、ワシントン靴店鳩居堂、三愛などを識別してみせる。
 むろん写真映像であるかぎりにおいて映画をある特定の場所についての情報媒体とみなす目的に利用することに何の不思議もない。しかし映画はその外に存在する何か他のものを伝達する「メディア」あるいはそれを保存する「ドキュメント」であるだけでなく、(機械的に再生された)運動それ自体を素材とする芸術形式である。そのとき、映像や音響は、外部を代理する媒体としてよりも、運動や変化に形式を与えるための内在的な物質素材として使われるのだ。だからこそ蓮賓重彦は、『東京物語』の遊覧バスの場面について、「このバスの場面は、ほとんど官能的といってよいゆるやかな滑走運動によって見るものの感性を武装解除してしまう」と指摘し、「人は、種のない手品を前にしたときのように呆然自失しながら、説話的な持続から置いてきぼりをくらわされた自分自身を発見して深くため息をつく」と書くことができる。』

タルコフスキーが首都高を用いたのはその表層の「情報」を使いたかったからではなく、それ自体がもっている「運動」そのものに魅力を感じたからだ。網目状にうねりながら伸びる道路、そしてその道路を走る車の流れ、通り過ぎるビルの群れ、そういった「運動」自体が、それを映像として見る僕たちに未来都市の世界を思わせながら心地よい刺激を与える。きっとタルコフスキーの映像を観て心地いいと感じるのはそういった「運動」をあらゆるところで見せてくれるからだ。水の流れ、その水に揺れる水草、朝靄の草原、風に揺れる木々、さらには惑星ソラリスの神秘に満ちた海に至るまで、そしてそういった風景の中に存在している人の姿。映像に映し出される全てのものが作り出すそれらの「運動」によって一個一個の単体の「情報」や「意味」を超える何かを僕たちに与える。「日本」の「首都高」がその「運動」を切り取ることで「未来都市」とし出現する。重要なのはそれを見つける視線とその運動を切り取って映像にする手腕だ。それをタルコフスキーは持っていた。

おそらく、ヴェンダースの「東京画」のパチンコ屋の風景やあめ細工の作業現場の風景もまさにそれと同じ心地よさを持っていたのではないだろうか。パチンコ屋の人を台を玉を徹底的に描写することでその運動が意味を超えた。そこにはパチンコ屋という表象の意味を超えたまぎれもない「東京」が映し出されていたと僕は思う。

■ で、今、僕が「東京」を感じる「運動」は何かと考える。と、僕にはそれが電車的なものに連想される。改札を通り過ぎる人々。電車から降りる人、乗り込む人。満員電車の中で体を接しながらそれでもお互い干渉しあわない人々。プラットホームに並ぶ。階段を上る。切符を買う。さらには走り去る電車。そういった電車的なものの「運動」に「東京」を感じている。