東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『一期一会とは言うけれど』

■ 今朝仕事場に来たら、部署は違うのだけれども仕事場が同じだった方が仕事を辞めていた。いや、もともと5月の中頃までの勤務と聞いていたので突然というわけではなかったのだけれども。

■ それほど親しかったのかといえばまったくそういうわけではなく、仕事場が一緒で、たまに仕事のことで用があったら話をしたくらいで、割り切った言い方をしてしまえばそれだけの関係ではあるのだけれども、ふと思うのはおそらくこの人とはもう2度と会わないのだろうなというようなことであります。一期一会とはいうが、なんというんでしょうか。僕自身、自分はかなり内にこもるタイプの人間だと思うし、だから自分から人に連絡を取ることはほとんどないわけで、割と希薄な関係だなと思うのは(悪い意味でではなく)一度だけ芝居をやった人たちとの関係で、別に仲が悪かったとかそういうわけではなかったが、ただ連絡を取らずに関係が自然消滅していくことが多々ある。まぁもっとこっちから積極的に知り合いの輪とかいうものを広げた方がいいのかもしれないが、どうもそういう気にもならない。あとおそらく相手からも連絡を取りづらい雰囲気を僕が持っているのだと想像できる。悪い意味ではなく。関係が消滅していくことはもうその人がどうのこうのではなく、お互いのなんとなく知り合いという関係の曖昧さと、自分の性格によるものなのだろうけど。だからそういう人から久し振りに連絡がきたら手放しでうれしい気分にもなるし、できることならせっかく出会った人たちなのだからなんらかのかたちでつながりあえたらいいなとは思うわけで、こういった突然のコミュニケーションの『断絶』のような状態に直面するとやはり寂しさが込み上げてくるもんだなと思う次第であります。

■ 話は変わる。最近は新宿駅のことを調べている。歴史ですな。参考にしているのは地元の図書館で借りた『鉄道と街 新宿駅』三島富士夫・生方良雄編だ。甲州街道と青梅街道の分岐点、角筈村字渡辺土手際に新宿駅が開業したのは明治18年3月。新橋〜横浜間に陸蒸気が開通したのが明治5年10月14日らしいから、まぁ割と時間は経っている気がするが、考えてみたらその数年前はまだ江戸時代だ。この辺に明治時代当初の急激は西洋化を伺えるような気がするけれども、なんというか日本人気質なんだろうか、どうしたらそれまで武士で江戸な時代を生きた人たちがこのように素早く西洋文明を受容できるのか。柔軟さというか新し物好きというか。伝統もへったくれもないほど目先のことに夢中になっている人々を想像する。それは今日でも伺える日本人っぽさのように思う。まぁそういうのを嫌がった人もいたのだろうけれども。新宿駅が作られたのと同時に出来た駅として赤羽、板橋、渋谷があったそうだけど、それらをつないでいたのが山手線の前身である日本鉄道品川線だったという。新宿や渋谷と肩を並べるほど歴史がある板橋駅がしかし他と比べて巨大なターミナル駅にならなかったのは単純に立地の問題なのだろうか。

■ 開業当時の新宿駅は一日の利用客が50人前後だったらしい。少ないな。しかも面白いのは雨の日は利用客が0人だったこともあったそうだ。察するに通勤で使っている人はいなかったのだろう。お金持ちの観光などの道楽でしかなかったわけで、雨の日まではしゃげないよということか。さらに笑ったのは新宿駅の交通事故第1号が狐の親子だったということ。狐か。当時の新宿駅がどれほど田舎だったかを物語っている気がする。まぁ狐にしちゃあたまったもんじゃないんだろうけれども。

■ その後、新宿駅が急激な発展を遂げるきっかけとなるのは明治22年の甲武鉄道との接続なわけで。甲武鉄道とは今で言う中央線だ。このあたりから列車による通勤という概念が生まれるのだろう。以前書いたように、地域の区別が山の手・下町から都心・郊外に変わり始めるのもこの辺なのだと想像できる。この『郊外』の誕生が東京近郊に住む人に与えた影響は計り知れないのだろう。

■ こうやってひとつの駅について調べてみるのも結構面白い。それはともかくA管理人は忙しいのだろうか。最近あまり管理されてないのが気になるけど農業にとってはいい季節だもんな。仕方が無いか。