東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『方向のない街』

ポレポレ東中野若松孝二監督特集を観ていた。開場して入ろうとした矢先にグラッと一瞬だけものすごく揺れたけど、なんでもないだろうとそのまま映画鑑賞。観終わってから外へ出てメールの確認をするとYしゃんや友人のOからメールが来ていた。そこで初めて場所によってはかなり大きい地震があったことを知る。


■ 映画館はJR東中野駅の目の前にあるので、駅の方を見てみるとどうも電車が止まっているらしく、これはなんだか大変だったと実感。とはいうものの、もう大丈夫だろうと楽観的な気分ではあった。隣で電話していた男も電車が走っていないことをいいことにもう一本若松孝二監督の映画を観てから戻るとか言っており、意外とのんきな感じ。


■ 観た作品。

「処女ゲバゲバ」(69年)
「新宿マッド」(70年)

いわゆる内ゲバによって息子を殺された父親が、殺した若者たちに向かってどうして殺したと問う。「革命のためだ」と答える。なんのための革命だと問う。「革命のための革命だ」と答える。暴力は思想という名分で大儀に変わる。「新宿マッド」が新宿という実際の土地が舞台で、思想を基に集まった集団の存在から暴力や性を徹底的に見つめているのに対して、「処女ゲバゲバ」はどこかも判らない荒地が舞台。その上、その荒地を地下室に見立てているという設定。そこに集う集団はもはやどういった集団なのかも明記されず、理由の判らない暴力と性のドラマが荒れ果てた大地で展開される。現実と非現実の両極端な設定で描かれているが、根源として見据えているものには共通のものが感じられる気がした。


■ 2本目の映画を観終わって外へ出るとまだJRは止まっていた。これにはちょっと驚いた。余震を警戒してのことだろうけど、やはり地震は怖い。数時間とはいえ、一つの地震が日本の中枢部にある交通機関を簡単に機能停止に追いやったわけだ。して、私は東中野から徒歩で新宿へ。数日前に歩いたのばかりなので、なんの苦もなく歩ける。20分も歩かずに西新宿へ。最後は身体が肝心だなとかよくわからずに思う。


■ それから中目黒へ。後輩が働いている大型チェーン店居酒屋へ。偶然、今日は仕事が早く終わるらしく、酒を飲みながらそれを待つ。仕事が終わってから店を移動して、近くにあった沖縄料理屋へ。


■ 勤務時間は午後3時から平日は翌朝3時、休日なら5時なのだという。場合によっては仕入れなどの都合で出勤時間が早くなったりするらしく、前日は睡眠時間が3時間ほどしか取れなかったとか。そのうえ、今月の休みはまだ3日しかないらしい。がんばっている成果なのか後輩は副店長という肩書きで働いていた。


■ 仕事量や休暇体系に関して外部の僕が口出しできることはない。所詮、労働基準法などあってないような世界はどこにだってある。僕はそういった職場で挫折して逃げ出したくちだし。後輩の仕事や生き方に対するスタンスがなんだか立派に見えた。現状に悲観してるでもなく、かといって開き直ってもいない。先々のことを考えていないわけではないのだろうけど、とにかく今目の前の仕事をきちんとやっている。決して中途半端ではない、と思える。そこが僕とずいぶん違うように感じる。


■ あと、恋愛ごとに関する話がちょっとすごいことになっていて、そういうところも生半可じゃないな、こいつと思える。グローバルな恋愛。しかもいきなり。まぁ人それぞれだ。


■ 結局、深夜1時過ぎてから、後輩があまりに眠そうだったので家に帰す。こっちはもはや終電がないので、中目黒から渋谷へ散歩がてら歩く。目黒川沿いは桜の季節が素敵そうだった。青葉台の辺りは東京らしくずいぶん坂道が多い。入り組んだ土地を思わせる。で、今は高級住宅街。


■ 渋谷まではそう遠くはなかった。最後は身体だ。深夜の渋谷はなんだか息が詰まる。すべての人がそうではないのだろうけれど、どうして彼らは今、この場所に集まっているのかはっきりしない感じがする。方位磁石がグルグルまわり続けるような感覚。明確な目的のない人々が小さな集団となって意図的にこの土地に集まり、その結果この土地が方向を持たない町になっているように思える。まぁ繁華街とはそういうものなのかもしれないけれども。澱んだ空気が夏のジメジメした湿気を帯びて一層視界をぼやけさせる。


若松孝二地震。仕事を懸命にやる後輩。目黒川。渋谷。喧騒。それらが一緒くたになって目的もなく内側をグルグルまわっていた。方向が失われているような感覚におちて、すっかり疲れてしまい始発で逃げるように帰宅。結局疲れをとるためだけの日曜を送った。