東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『アメリカ映画に描かれるアメリカ』

■ 絵に描いたような台風一過の日々。特に昨日の快晴は気持ちよかった。確かに暑かったけど、カラッとしていたのでそれほど苦にならない。そしてあの青空。とても青い。北海道の夏は結構こんな感じで、晴れると心地よかった覚えがある。そして夜になるとそこそこ気温も下がるので寝苦しくないし。こういう暑さは大歓迎だ。


■ 昨日の夜勤明け、新宿へ。『スターウォーズエピソード3』を観る。チケット販売店で安いチケットを購入しようと思ったがどの店も図ったかのようにスターウォーズのチケットだけ売り切れている。仕方がなく当日券を購入。その横で女性が1000円でチケットを買っていた。水曜レディースデイ。女性になりたいとは思わないけど(かといって男だからいいってわけでなくどっちもどっちだろうけど)、このレディースデイっていうのはうらやましいなと心底思う。こちとら月一しかない1000円デイが女性は月五あるわけだから。あと週の真ん中という設定もなかなかツボをついていると思う。


■ はたしてこのスターウォーズの新三部作は、旧三部作制作当時からすでに構想があったのだろうか。特にこのエピソード3っていうのは現在のアメリカをとても象徴しているような気がする。映画内での評議会という行政機関の機能停止や共和制から独裁政治への移行なんか、どうもアメリカの影が見え隠れする。確かにそれまでのスターウォーズにも政治言語が台詞として語られている部分はあった気がするけど、エピソード3で語られる政治言語はオビ=ワンが「民主主義を信じているのだ」と言ったり、アナキンが「それでも共和国を裏切れない」と言ったりとそれ以前の作品よりも幾分具体的な響きで聴こえてくる。


ジェダイとシスはどっちが正義でどっちが悪かというのも、それは紙一重であると台詞で語られており、また、それを象徴するジェダイ騎士サミュエル・L・ジャクソンとダース=シディアスとの対峙のシーンなんかもあり、あれはどっちも正義を叫ぶこの前の戦争のことだろうと推測できるし。そういう時勢を取り込んだということをルーカス自身が言及しているわけでもないし(まぁどこかで言ってるのかもしれないですが)、あくまでこっちの判断でしかないものの、なんというか時代を切り取るのが映画なのかとか思ってしまう。とにかくスターウォーズという壮大な物語にそういう時代背景すら取り込める強度があったわけで、30年ほどの時間を越えても、多くの人に認められるあたりはその辺にもあるのだろうなとか思う。


■ たまたま同時期に発表されたスピルバーグの『宇宙戦争』もまた9・11や最近の情勢を取り込んでいるように感じるし、週刊新潮連載の福田和也さんのコラムでは『バットマンビギンズ』のゴッサムシティを現代NY(ひいてはアメリカ)と照らし合わせて見てみる興味深い考察があったし、とにかくそういう現代アメリカを象徴している映画が多い気がする。ただそれはあくまでメタファーであり、映画としてきちんと作り上げているからこそ、それらの作品は評価されているわけで、なんといいますか、自分のポジションで「イマ」を捉えて作品にしている人たちはどこにでもいるのだなぁとしみじみ思うわけです。


■ それにしてもヨーダは漫画だ。CGになってから(確かエピソード1のラストあたりかららしいが)ここぞとばかりにヨーダを動かしていて、観るたびにつくづく思う。表情とかもかなり漫画だし。そもそもCGって滑らかな表情の変化を人為で作れるから、それをいいことにかなり顔を動かすんで、むしろ実際の人間よりも表情豊かになってしまう気がする。冷静に見てみると人間はあそこまでみごとに顔の筋肉を動かせてない。ましてヨーダなんかそれまでパペットだったわけで、ただでさえ顔の表情が乏しかったのにその喜怒哀楽の変化たるや歴然だ。まぁ新三部作は若い頃のヨーダなので、表情の変化がはげしいのはそれはそれで若かったからとか言えるのかもしれないけど、にしてもあれ、かなりの年いってるわけでしょ。エピソード3ではヨーダの歩き方が異常に遅く、宇宙船から降りる際、スロープを歩くのにかなりの時間がかかっていてそれがなんだか面白かった。


■ 気になるニュース記事のタイトル。

レッサーパンダ、暑さで立てず』

ほっといてやろう。この暑さだ。