東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『三月の5日間』

『ETV特集』で放送していた『木村伊兵衛の13万コマ〜よみがえる昭和の記憶〜』を観た。自らを報道カメラマンと位置づけていたという氏の写真はすぐ隣にいそうなごくごく普通の人たちの日常やなんでもない町の風景を写していた。その写真はまさに報道=ドキュメンタリー写真であり、日本の一時代を見事に切り取ったものであるという。


木村伊兵衛さんの写真に写っている被写体の人たちはまるでカメラの存在に気付いていないかのように自然な表情でその場所にいる。直弟子に当たる人のコメントによると木村伊兵衛さんの撮影はまさに居合い抜きと呼ぶにふさわしいものだったそうだ。撮影する被写体を決めるとレンズを覗く前に目算でピントを合わし、カメラを構えると同時にシャッターを押していたのだという。撮られた方はカメラを向けられたことに意識する暇もなかったのだという。また、評論家川本三郎さんは木村伊兵衛さんの人柄が写真家に向いていたのではないかと語っていた。カメラを向けても被写体が緊張せずに自然に振舞えるような安心感を木村伊兵衛さんは持っていたのではないか、と。それもまた才能なのだろう。木村伊兵衛さんはいい写真が撮れると『粋ですね』と言っていたそうだ。なんだかいいな、粋。


■ 夜勤明け、恵比寿で電車を降りて少し街を歩く。駅から少し離れると意外と静かな住宅街が広がっていた。どこか下町のような印象。だけどそれも明治通りまで。通りを渡って広尾に入るとおそらく一生縁がないと思われる高級住宅街が広がった。止まっている車の大半が高級車。大使館の付近には外人さんもたくさん歩いてる。有栖川宮記念公園の中なんてここは日本じゃないんじゃないかってくらい様々な国の家族連れがいた。すげえ場所だ。


■ で、気がついたら目の前には六本木ヒルズ。そのどでかい建物のとなりにひっそりと桜田神社という社があった。なんだかそこだけ時間が止まっているかのよう。隣の民家に止まっていた車の上では白い猫が気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。ぼんやりと眺めていたら警戒されて逃げられてしまった。のんびりしていたところを邪魔してしまったみたいだ。申し訳ない。


■ 六本木のSuperDeluxeという場所で上演されていたチェルフィッチュ『三月の5日間』を観る。なんなんだろう。あの感じ。演者と演じる役柄との距離感。舞台と客との距離感。男と女の距離感。そして日本人と戦争との距離感。きっとこの距離感はチェルフィッチュの距離感なんだろう。芝居に登場する男女は尋常じゃない性的関係にあったらしいが、舞台上では直接的な身体の接触はないし、特に性的なイメージを喚起させる台詞もない。せいぜい状況(5日間でコンドーム2ダースとちょっとを消耗するような関係)を説明する『言葉』が回想するような口調で延々と語られるだけ。戦争についても渋谷で見かけたというデモ行進について語る程度。言葉だけで語られるから、出来事として存在しているものに対してどこか距離感がある。ゆらーっと動く役者とゆらーっと代わり続ける照明。どこか曖昧でぼんやりとしている。(唯一照明がかちっと変わったのは物語が終わる直前だけ)。でもそういうぼんやりとした距離感が今、僕と社会の間にある距離感なんじゃないかと思えてくる。ところで途中にあった20分間の休憩は初演の時もあったのだろうか。つまり元々あるものなのか、再演の今回新たに加えられたものなのか。どうなんだろう。


■ 帰りはなんとなく渋谷まで歩くことにした。六本木通りをただひたすら歩く。『三月の5日間』の台詞にあったのだけどイラク戦争開戦時、渋谷を通ったというデモは六本木通りを進み、アメリカ大使館まで向かったのだという。だからなんだというわけでもない。戦争から遠くはなれて、ただ六本木通りを歩く。高架になっている首都高が道路の上の方を走っている。夕陽がやけにまぶしい。夕方の6時になろうとしていたけど、まだ明るかった。日が長くなってきた。だけど風が尋常じゃなく吹いていてえらく寒い。渋谷駅に着くころには顔の筋肉が寒さで硬直していた。体感として感じる寒さと六本木から渋谷までの距離。そしてまったく実感できない戦争。とにかくよく歩いた日曜日だった。