東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『モーターサイクル・ドン・キホーテ』

■ 埼玉に住んでいるせいか、神奈川はすごく遠くの存在に感じる。それは電車や車に当然のように乗るようになった今でも変わらない。物理的なものよりもなにか精神的な部分で遠い存在だ。東京ともどこか違う。なんとなく異質なものを感じる。


京浜東北線に乗っていて、やはり大井町駅くらいから違う場所に来たなという感じになった。蒲田や鶴見といった都市は何度か歩いたことがあるのだけど埼玉にはないものを感じる。なにかずっと濃い。あと多摩川を越えると丘が多くなってくる。斜面に家が立っているというイメージも僕の中の神奈川(の一部地域なのだろうけど)だ。東海道新幹線に乗ると新横浜を通過する前後で斜面に家が建っている風景が出現する。それを見ると武蔵野のまっ平らな平野で育った僕は『おお、旅に出たな』と実感する。


京浜東北線に揺られて関内駅へ。横浜スタジアムを横に見ながら歩く。碁盤の目のような町並み。例えば東京の銀座の付近も碁盤の目のようになっているけど、やはり銀座とはどこか違う雰囲気。まだ2回くらいしか歩いたことがないけれど神戸の三ノ宮の雰囲気の方が近い。なんなのだろう、この雰囲気。よく使われている言葉を用いるなら異国情緒という、あれか。


■ しばらく歩いていると海が見えてくる。海というより港か。右を向けばコスモワールドの観覧車。そして目の前には赤レンガ倉庫。海のほうを見れば向こうのほうにベイブリッジが見える。横浜っぽい。大さん橋を超えて山下公園の方へ歩いてみる。ベンチでくつろいでいる人達がいる。芝生で横になっている人がいる。犬を連れて散歩をしている人がいる。大道芸人のパフォーマンスに人だかりができている。夕方の頃、そこにはのんびりとした時間が流れていた。


■ 赤レンガ倉庫のホールで上演されていた遊園地再生事業団プロデュース『モーターサイクル・ドン・キホーテ』観劇。


舞台の奥に向かってでっかく開いている穴は、横浜市鶴見区にあるバイク屋の入り口にあるシャッターという設定だけど、それは単にバイク屋の『内』と『外』を分けるだけのものではなく『ここ』と『むこう』を分けるものとしてあるように思えた。


劇中劇として演じられる『カルデーニオ』において、その土地の有力者であり金と権力を持つドン・フェルナンドに言い寄られたルシンダは、幼馴染で許婚でもあるカルデーニオを裏切ることはできないと、ドン・フェルナンドから逃れるため一度は舞台上の『ここ』からその穴を通り、奥つまり『むこう』へ走り去る。が、再び『むこう』から『ここ』つまり舞台上に戻ってきてしまう。なぜ戻ってきてしまったのかルシンダは自分に問いかけ「自分は愛よりもお金や地位を選んだ」と結論づける。


  主人公である竹内忠雄はバイク屋で働く坂崎仁を連れてバイクの旅に出る。それは竹内忠雄にとっていくつもの行き違いが生じた関係を解消し、生まれ変わるための旅だった。竹内忠雄はバイクに乗って穴を通り『ここ』から『むこう』へ走り去る。


  劇中劇でドン・フェルナンドを演じた神山は言う。『ルシンダは、カルデーニオを助けるために、王の元に戻ったんだ』。そして竹内忠雄は戻ってくる。『むこう』からバイクに乗って再び舞台上である『ここ』へ。そして初めて『ここ』にある身体として、妻でありかつてルシンダを演じた役者であった真知子を見出す。竹内忠雄は言う。『俺は勝った、ルシンダは救われた』と。


  これは『ここ』から『むこう』へ行く作品ではなく、『むこう』から『ここ』へ戻ってくる作品だと思う。あらゆる関係において誤解は生じる。その中で和解の道を見つけることができるか。誤解によって『ここ』から『むこう』へ去るが、和解の道を見つけたとき『むこう』から『ここ』へ戻ることが出来る。それは思い込みであっても構わない。竹内忠雄がドン・キホーテであったとしても。配られたパンフレットに作・演出をした宮沢章夫さんはこう書いている。

 
  『これは「誤解」の劇だ。様々な意味での誤解がそこにある。誤解を解消しようとするのではなく、誤解があるからこそ、異なる文化同士が、きしむような音がたて、その「きしむ音」がここで、またべつの種類の、世界的な演劇という視野のなかで生まれる新しい演劇の動きになればいい。』


  「きしむ音」とは、劇中で流れた数々のロックやラップミュージック、バイクのエンジンの音、シャッターを開ける音、はたまた壊れかけたスクーターのカカカカカという音、そして舞台上で繰り広げられた人間関係そのものなんだと思う。


   物語のラスト、舞台上では一つの和解によってまた一つの誤解が生じ、その誤解による「きしむ音」が響いて終わる。この「きしむ音」にひるむ必要はない。「きしむ音」が新しい演劇の動きになる。芝居は続いていく。


■ 帰りの途次、購入した上演台本を電車に揺られながら読んでいた。川崎駅に着いた辺りでかつて知人から言われた言葉をふと思い出した。


「そこは、地図にない街なんだよ。」


桜木町駅から乗った時にはずいぶんと込んでいたのに、いつの間にか車内はすいていた。電車が動き出す。


「バイトをさ、ピザ屋してると、注文がくるから、それで初めて知ったの。地元だったのに俺、それまで全然知らなかった。土手の内側にあるから、載んないのね地図に。でも、注文来るから配達するわけ。何回か行ったよ。土手って、洪水とか水害から守るためのものでしょ、だけどそこは内側にあるから、河川が氾濫したりすると、ニュースで家が流されてる映像が映るのよ。」


詳しい背景を知らないから当然一緒くたには出来ないことは解っている。だけど東に住んでいる自分には無関係だったと思っていたのに、そんなことは全然無かったことになんともいえない気分になった。たんに、僕が知らなかっただけだった。京浜東北線多摩川を渡る陸橋に差し掛かった。空いた車内から多摩川を見ようと思ったけど、真っ暗で何も見えなかった。