東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『サウナと表現』

ある道路

■ 9日(金)。日中は雨だった。本格的な梅雨入りなのだという。梅雨かぁ。


■ 雨の中、早稲田へ。心なしか授業を受ける学生が少ない。そんなもんかと思う。自分の学生時代はどうだったかな。雨が降ったら確かにめんどくさかったけど住んでいた寮が大学の敷地内にあったから行ってた。家から遠かったら行ってなかったかもしれない。でもはっきりいってものすごく貴重な経験になる授業だと思う。正直、もったいない。


■ 「何を表現するか」という問いかけから授業は始まった。宮沢さんは「伝えられないことをいかに伝えるか」だとおっしゃっていた。そこで劇作家である太田省吾さんの言葉を引用された。太田省吾さんはある時、子供と母親の会話を耳にしたのだという。2人は「重い・軽い」「早い・遅い」など意味が反対になる言葉をいろいろと言い合っていた。その時、子供が「思い出」と言ったら母親はこう答えたのだという。「それは駄目よ」。それを聞いていた太田さんはこういう言葉を書いた。「思い出の反対は、と聞かれてそれは駄目よ、と言わないのが演劇なのだと思う」。


■ その後に、太田さんの代表作である「水の駅」の冒頭シーンをビデオで見せてくれた。僕は初めて観た。蛇口から水が流れていて、その水の音だけが聞こえる。その水を少女がゆっくりとした動きで掬う。水が流れる音が止まってサティの「ジムノペティ」が流れてくる。すごく美しい映像だった。そこからたくさんの想像が溢れてくる。表現とはこういうものなのかと思えてくる。


■ 夜の7時に後楽園で約束があるのだけど、授業が終わってからまだずいぶん時間があったので早稲田から歩くことにした。適当に戸山キャンパスを抜けると大久保通りにぶつかる。そこからさらに路地に入ると見覚えのある商店街に出た。曙橋の商店街だった。懐かしい。かつて学んだ演劇の学校がそこにあり、一年間何かと通った町。今はすっかり行かなくなった。いくつか行ったことがある店があの当時とは変わっている。もちろん変わってない店もある。町はいつも動いている。そこから靖国通りを進み、途中また路地を適当に曲がる。すると神楽坂の付近でまた大久保通りにでて、さらに早稲田通りにもぶつかる。と、いうことは早稲田大学を出て早稲田通りをまっすぐに行けば近かったのだと気付いたが、まぁ急ぐこともないし、こうやってぶらぶらすることでいろいろと楽しいこともある。飯田橋から後楽園はすぐだった。早稲田からは寄り道もあわせて、およそ1時間30分。


■ 家常さんと谷川さんと後楽園にあるサウナへ行く。家常さんと以前約束をしていたサウナ行きを実施。と、言ってもラクーアではない。赴くは駅の近くにある銭湯。そこで3人でダラダラ汗をかきながらサウナに入った。汗はかくぜ、サウナだから。途中、家常さんと谷川さんが2人してサウナから出て、1人ダラダラと汗をかいていたら、家常さんだけが戻ってきた。「谷川さんは?」と聞くと家常さんは「あんぱんみたいになっている」と答えた。意味がよく判らなかったのだけど、それは暑さで自分の意識が朦朧としていたせいだったのかもしれない。しかし今考えても意味は判らない。


■ サウナを出て、湯船でのんびりとする。内田百輭の本にあった30円の謎を2人にも話すと家常さんがスルッと答えを出してくれた。なるほどと胸のつかえがとれた気分になる。こういうことを話しながら風呂に入るのは楽しい。風呂はあれですな、びばのん。この勢いでサウナ部でも結成したい気になる。


■ 脱衣所で身体を拭いているとちっちゃい女の子を連れたおじさんも風呂からあがってきた。女の子は脱衣所ではしゃいでいた。何か歌をうたっていた。「くまさーん、くまさーん」と言っているように聞こえた。おそらく彼女のオリジナルの曲なのだろうなと思った。それがなんだか良かったのでぼんやりと聴いていた。


■ それから近くの中華料理屋へ。3人でいろいろ話す。何かやりたいね、という話しになる。と、いっても即公演をするとかではなく、発表を前提にするわけではなくとにかく何か創作をしたいねという感じ。「東京の果て」は芝居寄りだったけど、もっと映像と音楽とそして人がそこにいる空間をかっこよく作り出せないかという話になった。とは、いうもののまだ何も浮かんでこない。


■ 2人と別れてから、1人で電車に乗っていて今日受けた授業のことを思い出す。そして「伝えられないことをいかに伝えるか」という表現についてぼんやり考える。今、僕はどんな空間を作り出したいのか。


■ 帰りに自転車を漕いでいると風が気持ちよかった。そして空を見上げるととてもきれいな満月があった。とてもいい気分になる。