東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『墨田区の祭り/若者殺しの時代』

神輿と人々

■ 先週末に行ったお祭りの続き(と、いっても正確にいうと違うらしいけど)で、「今週は先週よりもでかい神輿がでるのだよ」と教えてもらい、じゃあでかい神輿を見に行こうとまたもや夜勤明けに墨田区へ。隅田川神社についた頃には雨が本降りになってしまい、せっかく出店が出ていたのに残念な感じ。とりあえず近くにあったデニーズで雨宿り。


■ 15時ごろに雨は小降りに。東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前にものすごくでかい神輿が置いてあった。そこに次々といなせな格好をした人たちが集まってきた。そして神輿を担ぎ上げる。目の前を通り過ぎるとすごい迫力。地元にも夏祭りのようなものはあったけど、こんなにでかい神輿を担ぐようなことはなく、初めてといってもいいくらいの迫力を体験した。特に最終地点である神輿を奉納する神社では神輿に人々が集まり、何トンもあるという神輿を上下に揺らす。掛け声がかかり、場のテンションがあがってくると喧嘩も始まってすごいことになった。いやぁー、江戸っ子の祭りでした。


■ 最近、街を歩いているけど、別に健康のためとかそういうことではない。ただ、ブラブラしたいから。それで気付くことといえば、意外と東京は歩いて行けるということ。原宿からなら下北沢も行けたし、早稲田から後楽園も道を選べば遠いってほどではないって判った。今まで移動といえばいつも電車を使っていたし、それが当然だと思っていたけど、歩いてもいつか必ず着く。まぁ時間もかかるし、疲れるから電車というやつはつくづく便利だと思うけど。そう。確かに『便利』だ。有難いことに世の中には次から次へと『便利』が登場している。


■ コンビニが出来たときすごいものが出来たと思ったし、24時間営業すると聞いたとき「そんな馬鹿な」と思った。携帯電話が急速に普及したとき、あんなの持つなんて嫌だと渋ったこともあったけど今では携帯電話ナシの生活なんてありえない。ビデオが初めて家に来たとき、どうやって録画するのか家族全員で悩んだ。インターネットの意味が最初、よく判らなかった。1979年に生まれた僕がやっと社会という外部を意識しはじめたとき、それは多分大学生になった1997年頃だったと思うが、世の中にはもう『便利』が溢れていた。


■ 『若者殺しの時代』(講談社現代新書)の著者である堀井憲一郎さんは1979年に大学に入学したのだという。堀井さんは世の中に次々と『便利』が現れて、逆に『不便』が消えていくのをまさに体験した世代だった。詳しくは是非、本書にあたって頂きたいのだけど、1983年に恋人たちのためのクリスマスが日本で市民権を得て、1987年に東京ディズニーランドが聖地化し、1989年にカルチャーとしてのマンガが捨てられ、1990年に文字が機械(ワードプロセッサ)で書かれるようになり、1991年にトレンディドラマが盛り上がり、1993年に女子高生の性商品化が始まり、1997年に携帯電話が急速に普及していき、というふうに次々と『便利』が出現していった。もちろんこれは有難いことだったし、今でもその恩恵を受けているのは間違いない。


■ だけど今、それらの『便利』によってまた『不便』とは異なる負荷が身体にかかっている気がする。以前、コンビニでバイトをしていた時、深夜に働いている社員の人を見て、24時間営業しているということは24時間誰かが働いていなくてはならないという至極単純なことに気付いた。かつては埼玉から東京に行くということは一日がかりの大事だったはずなのに、今はほんの1時間ほどで通える。距離による制約がなくなった。その分、満員電車でぎゅうぎゅうになりながら通勤することになった。携帯電話はいつでも誰とでもコミュニケーションを取れることを可能にし、逆に他者から逃げることを不可能にした。『便利』を得た分、何か別のものも背負い、そして確実に何かを失った。


■ 『若者殺しの時代』は評論というより、そういう『便利』によって自分の身体に生じた違和感のようなものを、目撃者としてきちんと言葉にしようとしているようだった。


1983年当時、僕は大学生で、貧乏だった。でもこれから、確実に貧乏でなくなっていくんだ、とおもったのが1983年だった。
得られるものはじつに楽しそうだった。
でもいま振り返ると、失ったものが大きかった。
それまでは20代の若者を社会は見逃していてくれたのだ。若くて元気であまりお金がない連中を社会はほうっていてくれた。早く社会に入っておとなになりたいやつは急げばすぐにおとなになれるし、まだしばらく遊びたいやつは、ちょっととしたものと引き換えにしばらく遊んでいられたのだ。
(中略)
でも1983年からあと、社会は若者をほうっておいてくれなくなった。いったんかまわれ始めると、永遠にかまわれてしまう。こうなるのがわかっていたら僕は断っていてもよかった。でも、誰もそんなことは教えてくれなかった。もちろんこうなるのがわかっていても、僕は断れなかっただろう。
(中略)
それは選べそうで、選べないことなのだ。しかたがない。
そしてそれが1983年だったのだ。

別に失ったモノを取り戻したいとかは思わない。なぜなら何を失ったのかも1979年に生まれた僕にはすでに判らないからだ。『便利』は有難い。僕は今後もずっと『便利』の恩恵を受けて生きていくのだと思う。ただ、なんとなくで『便利』を使うのはやめようと思う。だから、よく判らないけどとにかく歩いてみる。歩く速度で何かを見つめることで『便利』で得たものと『便利』で失ったものが見えてくるかもしれないから。