東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『仕事と身体』

電柱と空

■ 今日もまたいい天気。なので布団を乾す。乾け、布団。いや、布団はもともと乾いていた。とにかく陽に当たれ、布団。


■ 自転車の前輪のタイヤがパンクしたのは先日で、それで自転車屋さんに修理してもらいに行った。僕は自転車屋さんに憧れる。出来ればなりたいなともかつて思ったけど、不器用なので諦めた。と、いうのもパンクの修理が出来ない。自分で修理するとどうしても空気が洩れてしまう。その点、自転車屋さんの手際の良さは見事としか言えない。


■ パンクの修理を見ているのが好きだ。ホイールからゴムタイヤをヘラのようなもので取り、そこからチューブを抜き取る。ゴムの内側に異物がないか手で確認する。チューブに空気を入れて、パンパンにしてから水に浸す。破けている部分を見つけたらヤスリで擦り、表面を平らにする。そこに接着糊のようなものをつけ、一度ライターの火で軽く燃やし、すかさず絆創膏のようなゴムを貼る。それで完了。それらの手順をふんでいく手付きのよさに見とれる。ほんと、自転車屋さんはいい。


堀井憲一郎さんは『若者殺しの時代』(講談社現代新書)の最後に、社会に潰されないための一つの手段として伝統文化を身につけるのがいいとおっしゃっている。そうおっしゃる根拠は是非、本書に当たっていただきたいけど、つまり職人になれってこと。だから『伝統』にこだわる必要はなく、例えばラーメン職人でもいいし、自転車屋さんでもいい。


自転車屋さんの仕事を見ていて気付いたのは、つまり仕事は身体と結びつくってことだ。身体がその仕事をするためのものに変化していく。そうはいっても目に見えて何かが劇的に変わるわけではなく、佇まいが変わると言うか。テンポとか間とか、身体に刻まれるリズムがその仕事をするためのリズムになっている気がする。それは小説家とかプロスポーツ選手、芸人とかにも言える。僕はとにかく、その人の身体そのものが職人のそれになって独特のリズムを刻んでいるのにすごく惹かれる。


ライブドア株主総会に出席者が少なかったと聞いて、やはり株というのは職人の仕事ではないのかとも思った。当然、そこには僕の誤解もあるだろうから断言は出来ないけど。お金を稼ぐことはいいと思うけど、株の取引はどうもそこに身体性を感じない。だからどんなに金を稼いでる人を見ても魅力を感じない。負け惜しみかもしれないけど。


■ カベさんのブログ『テナチッチ』が『カベログ』に変わっていた。それまで名前表記などを伏せていたようだったので、こういう場で紹介はしなかったのだけど、『東京の果て』に出てもらったカベさんのブログ。どうやらいろいろ活発に活動しているみたいで、すごいなぁと思う。現在カベさんが参加しているワークショップで鈴江俊郎さんの戯曲『髪をかきあげる』を読んでいるとブログにあり、そういえば大学の頃にこの戯曲を読んだなぁと思い出した。すっかり内容の方は忘れてしまったのだけど、確か馬の鳴き声を真似する男が出てくるシーンが最初と最後にあり、その光景を自分の中で思い描いてなんとも言えない寂しい気持ちになったのを覚えている。是非、この戯曲を上演したいと学生の頃に思ったけど、結局その機会はなかった。まぁ、あの当時の若すぎた僕にはどっちみち無理な戯曲だったかもしれない。いやはや。