東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『またいた、似ている人』

■職場に向かう途中、前を歩く女性が会社の先輩だと思い、声をかけようと思ったらその人は職場の前を通り過ぎていった。別人だった。驚いた。というのも本当に後ろ姿、歩き姿が似ていたからで、さらに先輩だと思ったのは着ている服装もまた先輩が着ている服と系統が似ていたのだ。

その話しを職場の同僚にすると、「実は俺も見た」という話しになり、さらに別の上司に話すと「俺も見た」ときた。いる。職場の周辺に、似ている人が。

で、その件を、当の先輩に言うと、驚くべき発言が返ってきた。「またいたか。」なんでもその先輩はいろんな所で、似た人を見たと言われるらしい。どえらいことだ。時には初めて訪れた居酒屋で「先日はどうも」と店員にいわれたこともあるとか。つまりこれは、
どこかの誰かに似ているとしばしば言われる身体の持ち主
ということで、それはそれで何やら希有な存在のような気がする。是非とも似ている人同士で会合でも開いて頂きたい。

小栗康平監督の『埋もれ木』は面白い。本編の後についていたメイキングを見るとこのシーンもセットを組んでいたのかと驚く場面がある。この映画はCGを多用している。一見してそれと判る場面もあるけれど、セットを組んで、その中に気付かぬようにCGを使っている部分もある。気付かぬようにとはいえ、観るという映画体験の中でそのシーンは、確実に僕の意識の深い所に影響を与えている。CG部分だけでなく、1カット1カットが、息を飲む。

極々些細なカット割り。町で働く大工職人が、学校で特別授業の講師を務めるシーン。最初は生徒の側から、黒板の手前、いわゆる先生が話しをする壇上で授業を始めるカットから入るのだけど、しばらくしてから今度は、職人の後ろ姿越しに授業を聞く生徒の姿をとらえる。このカットを撮るためには、カメラを置くためにさきほどあった黒板を取り外す必要がある。当然、それまで見えてなかった教室の後ろ壁のセットも必要になるし、カメラに写りこんでくる生徒役の出演者の数も途端に増える。さらには照明の調整も必要になる。些細なカット割り。場合によっては削ってもいいようにさえ思うけれど、このカットが入ることで、このシーンの重点は『話しをする職人』だけではなく、『話しを聞く生徒』の存在が重要であることを示すし、話しを語る人と聞く人の存在があって成り立つ『教室』という空間が突如として広がりをもって出現する。そしてまたその空間の存在を示すからこそ、その次のカット、次第にカメラが横移動をし、話しをする職人から窓の外の風になびく木々に視点の中心が移動してくること、『教室』とその外部にある木々の存在が一層つながりを持って僕の意識の中に入ってくるように思う。

そういうわけで小栗康平監督の『埋もれ木』は素晴らしく、気がつくと私は『小栗康平監督作品集DVD-BOX』をamazonに注文していたのだった。