東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ハンマースホイやいろいろ』

■21日(金)。仕事の後に、以前一緒に芝居をやり、この前の素敵な夜の会にも参加してくれたM君と会う。約束の時間を僕が30分も遅刻してしまい「すんません」と電話をすると「大丈夫です。待ち合わせ場所には闇がありますよ」と不安にさせることを言う。約束場所に行くと、そこには膝を抱えて切なそうに地面に座り込むM君が。闇があった。

久しぶりに面と向かって色々話した。M君にはM君のいろいろがある。さしあたり今、ある資格を取得するための試験を受け、さらに小説を書いているという。それにしても良い意味で偏りのある知識を持っている。僕は読んだことがないのだけど『バキ』というマンガがあり、そのことについて夢中でしゃべる。さらには小説家熊谷達也遠藤周作といった好きな作家のことなど。言葉に触れることの悦びを大切にしているんだなぁと改めて思う。ただ、自信満々で披露された映画『セブン』のケヴィン・スペイシーの顔真似はどうにも似てないと思うんだけど。


■22日(土)。諸々の機会があり、『たけしの教育白書2008』という番組の観覧に行く。ビートたけしさんと太田光さんを直接観れるということに惹かれて。ミーハーまるだし。それとは別に4時間半の生放送ということもありスタジオはバタバタしてた。スタッフの人たちは大変そうだった。できません、は通用しない世界だろうから。

直接観れたとはいえ、生本番中の2人の後ろ姿を観覧席から観るだけのものなのだけど。スタジオ内でのトークの時、コメンテーターの人の話しを、太田光さんは椅子の向きをかえて、コメントをしている人の方に向き直り、顔を見て話しを聞いている。僕が見ていた限り、全ての人に対してそういう風にし、必ず顔を見て話しを聞いていた。一方のたけしさんは直接コメンテーターの顔を見ることは滅多にない。自分の目の前にあるモニターをじっと見ている。例えば、そういうところに2人の立ち方の違いが現れているように見える。それを観れただけでも貴重だった。まさかアントニオ猪木さんを目の当たりにすることになろうとは思わなかったけど。でかい人だった。コメンテーターで来てたのに二言目には「難しいことは聞かないでください」と言ったのには笑った。


■23日(日)。上野の西洋美術館で行なわれている『ヴィルヘルム・ハンマースホイ展』を観に行く。上野駅の公園口は驚く程の人の数だった。軽く散歩してみてからなんて考えは一瞬で諦めた。公園や動物園に来る人に、『ハンマースホイ展』を観に来た人もいたからだろうけど、どうやらもっとも人が多かったのは東京都美術館で催されている『フェルメール展』を目的とする人らしい。チケット売り場で道行く人が「フェルメールは90分待ちだよ」としゃべっていた。そりゃ、えらいことだ。

フェルメールもあれだけど、それよりも僕はハンマースホイ

風景画や建築物の画もさることながら、目を惹くのは繰り返し描かれる自宅の部屋と後ろ姿の女性の画。徹底的に写実的な画を目指しているようで、実はそうではなく、部屋の中のモノは極力排除され、所々には実際にはありえないような(例えばドアノブがない)場所も見られる。余計なものをそぎ落とし、必要に迫られれば実際には存在しない視界を加えることで、ハンマースホイの空間の美しさが出現しているような印象。何かのインタビューに答えたというこの言葉。

「私は常に、そのような古い部屋には、たとえ人がいなくてもある種の美しさがあると思っています。いや正確に言えば、それはまさに誰もいないからこそ、美しいのかもしれない。」


こういうものに触れることが出来ると、本当に刺激をうける。でもって美術館に行くとクタクタになる。人の多さもあれだけど、100点近くの作品と対峙することで頭がボーッとしてくる。心地いい疲労だけど。外に出たときはもう日が落ちていた。夕暮れの上野公園はなんだかよかった。




公園を下り、アメ横に行くとそこはまったく別の上野。値札によると13,000円のマグロ大トロを「1,000円でいいよ」と言って売るおじさん。思わず購入。食べてみると、まぁ、大トロではない気がしたけど、それでも充分美味しかったどす。


■それで家にいるときは編集。外で受けたいろいろな刺激を経てあらためて映像を見るとそれで考える所もあり。昨日は雨が思ったよりも長く降り続いていた。

いうわけで賑やかな週末。