東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『殯の森』

tokyomoon2009-06-23

すっかり梅雨で毎日はっきりしない空模様。洗濯したり布団を干すのも雨が降らないかとびくびくする始末。この前の土曜も雨はなしの予報だったので、乾かしたいものをベランダにガンガン干して鈴木君家に行ったら、帰りに雨が降っていてうろたえた。


河瀬直美さんの『殯の森』をDVDで。徹底的にありのまま、剥き出しで何かを見せつけられた様な印象。そこに監督の強い意志を感じつつも、あまりの強さに途方にくれたというのが率直な感想。

奈良山間部の老人養護施設が舞台。推測だけど、おそらく実際にそこで暮らしている方々にも出演してもらっているのだと思われる映像。役者の人たちも、名前が実名で呼ばれ(名前だけで性は呼ばれてなかったと思うけど)、カット割りを重視すると言うより、手持ちカメラでまわした映像を細かく切ってつなげた様な編集、台詞を立たせるというよりも場の空気感を意識した様な音声が、ドキュメンタリー映画を観ている様な印象を持たせる。その中に、ストーリーとしてのフィクションが入ってくる。そこに個人的には何かすっと入り込めないものを感じた。ドキュメンタリー部分としての映像の前で、ストーリーとしてでさえフィクション部分が要らないように思えるほど、実際のものは強度がある、ありすぎるように思える。個人的には、タイトルクレジットが出る前の、葬列シーン。その儀式の準備として、装飾品を作る人の映像が一番よかった。おそらくそれはまだ奈良のその土地で、その行事が、頻度こそは少なくなっているかもしれないけれど、根付いているものとしてあり、だからこそ、それらの準備をする人の手つき、仕草はそれだけで釘付けになる何かがある。葬列のシーン自体は、当然、この作品用に用意されたものだろうけど、それはその土地のものを切り取ると言う点で、木々等の風景と同列ではないか。だけど、映画の後半、夜の森で、雨に濡れて凍える身体を裸で暖めあうシーンなどは、たとえカメラは手持ちで、音声もガンマイクで拾った音のみを使用し、まるでノンフィクションのように撮影していたとしても、それは、紛れも無くフィクションで、カメラの後ろにはスタッフがいるだろうし、事前にカメラリハが行なわれ、演技指導もあったはず。もちろん、そのシーンにも、監督の強い意志を感じるのだけど、なぜか僕には、素直にその映像を受け取ることが出来ず、そういった背景のことばかりを考えてしまう。それらのシーンの、強い、強すぎる何かを直視出来ないほど、意気地がないのかもしれないけれど。

河瀬さんの作品は、根底に流れる半端無い熱にいつも圧倒される。


土曜日にみんなと音楽の話をした影響で、昨日あたりからずっと『虹』を聴いている。