東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『謎の真相』

tokyomoon2009-09-25

仕事後、豊島区の中央図書館に借りていたCDやDVDなどを返却。先日、ゆえあって初めて利用したのは、開館時間が夜10時までと知ったから。それ、すごく助かるよ。館内もきれいでなにやら落ち着いて本等を探せる感じだし。地元ということもあって『トキワ荘』関係の漫画の蔵書もやたらとある。今まで利用しなかったことが惜しまれるほどの設備。今後はちょいちょい利用していこうと思案。


鬼子母神のあたりを散歩して、帰りに寄った古本屋『往来座』。そこに雑司ヶ谷かるたの解説本のようなものが置いてあった。購入。私の抱える『謎ランキング』で上位にランクインしていたこれはなんなのかを調べる。

これ


『助けて 肩から壷が生えてきた』だとばかり思っていたこれは、
『竹本焼 雑司が谷の 士の 名器なり』
という句が詠まれていた。

豊島区の紹介ページに書かれた説明によると

竹本焼は現在、盆栽愛好家の間で稀少品として珍重されていますが、一般にはあまり知られていないやきものです。竹本焼とは、明治初年から大正期にかけて旧旗本の竹本家3代(要斎・隼太・皐一)にわたって作った陶磁器をいいます。

と、竹本焼のことが紹介されている。

人物の虚ろな視線や背景の赤の使い方からも、てっきり何か不吉なあれなのかとばかり思っていたのだけど全然違った。失敗したなぁと思ったのは解説本ではなく、一緒に販売していた雑司ヶ谷かるたそのものを買えばよかったかもということ。久しぶりに、かるたをやりたくなっている。


松本人志監督の『しんぼる』を観る。冒頭、メキシコの道を走る車を長まわしで捉える画を観て、1人心躍る。個人的には、8貫くらいあったマグロの寿司を食べるシーンで、ひたすら食べるところが良かった。NGなしだとしても寄りと引きの画があったので、少なくとも2回は同じシチュエーションでマグロ寿司を食べているのだと思うけど、その食べっぷりと、それを一切省略せずに見せる感じが僕は好きだった。それが脚本に書かれていたのか、咄嗟のアドリブか、もしくはほんとに辛かったのか、寿司を食べきって最後に一度咳き込むのだけど、あれだけかっこめばそりゃそうだろうと思った。やはり映画は食べるシーンがなければ。食べるシーンでその映画の善し悪しが決まるといっても過言ではない、かもしれない。
で、そういったシーンを観て、これは省略しない映画かと思ったら、そういった考えはあっさり裏切られる。あまり内容をあれしても仕方がないのだけど、寿司を壷からだすシーンは、カットこそなかったけど早回しで終らせてしまう。誰もいない設定の密室でカメラ目線でしゃべりだしたり、アニメーションによる解説が挿入されたりと、突然それまでの設定のようなものをずらしていく。

メキシコパートと密室パートの、異なる2つの設定を、カメラワークやライティング等丁寧に撮り分けているように思ったのだけど、それさえも前振りだといわんばかりに、最後に思いっきりずらす。それはそれで爽快。それがオチだとすれば丁寧に作り上げて最後にそれをすべてずらした『大日本人』のラストと同じ印象なのだけれど、『しんぼる』ではその先がある。それまでの派手な衣装が白くなり、髪が伸び、髭を生やす。明らかに確信を持って作られたそのクライマックスを、どのように受け止めればいいのかと悩むのは、それも本気のふりした冗談で、ずらしの対象なのかどうなのか判断に迷うから。『しんぼる』というタイトルや映画の中で自分で仕掛けたネタの、ある意味での着地点として、ずらすつもりでなく作ったとするならば、いやいやそれはまとめすぎてるよ、という気もするのだけど。
なんにせよ、この人は、いろいろなものを『じっと眺める』人なのだと思う。『じっと眺め』て、そこに滲み出てくる何かを、ある意味では正直にはきだす人なのだろうかと思う。