東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『充実の銀色週間』

連休に、妻Mの実家である山形は新庄に帰省。久しぶりのかの地は東京に比べて涼しく、というか肌寒く、土曜の夜に駅に降りた時、即、半袖しか持ってこなかったことを後悔した。

パパさんと酒を飲み、温泉に行き、妻の友人たちと酒を飲み、山へ山菜を採りに行き、川縁で芋煮会を行ない、してここでもまた酒を飲むという日々。
山菜を採りに行く時とかに感じるけど、パパさんやママさんと山との距離感は、僕らが例えば休日に山に遊びに行くとかそう言うアレとはまったく異なる印象を受ける。すぐそこに山があり、そこからいろいろ頂くから、感謝と畏敬の念も忘れない。とはいえ、それは「自然、サイコー」的なアレではなく。なんといったらいいのか、ともかくこういう距離感が本来のものなのだなぁと思わせてくれる。

たまたまテレビで映画『おくりびと』がやっており、かの地の近所がロケ地だったので、一緒に見たパパさんからロケ地の話等を副音声で教えてもらいつつ鑑賞。エンターテイメントな作品だなと思った。唯一、印象に残ったのは、クリスマスの職場で主人公がチェロを演奏するシーンで、職場の上司役の山崎努さんが鶏肉をほおばりながら「チェロを聴くのは初めてだ」という台詞。なにやら重めの役目を背負わされた台詞が飛び交う映画の中で、この台詞のもつ立ち位置の自由さたるや。いや、もしかしたら脚本の段階ではそこにも何かが負荷されていたのかもしれないけれど、それを山崎努さんが言葉にしたとき、その台詞はそういう重さから逃れた場所にあったような気がした。つまり、ただ口にした、というアレになっていた。その響きの魅力的なこと。なんでもなさを引き受けることができる山崎努さんの身体って特権的だなと思った。

ババの認知症はより進行してしまっているようだった。山へ山菜を採りに行く際にババに「どこへ行くんだ?」と問われ「山ですよ」と受け答えたをしたのだけど、それがものの10分ほどの間に3回くらい行なわれた。当然、僕が受け答えをする前に、パパさんもママさんも山へ行くことは伝えている。「そうか」と一度は受け取るものの、ババはそれを覚えていない。山も、奥の方へ行くと携帯圏外の場所になってしまう。山を下りてからママさんが着信を確認すると4件の履歴がある。すべてババから。電話をかけるとババは言う。「俺を置いてどこへ行ったんだ」。ババを見ていると、記憶というものにはいろいろな種類があることが判る。ババは、パパさんやママさん、そして妻Mのことは覚えている。幸いなことに僕のことも。年に数回しか現れない僕のことは忘れない。でも、今言ったことをすぐに忘れてしまう。
かつてババがポツリと言った言葉がある。「頭の中がいっぱいになって入るところがなくなった」。猫のみぞれを連れて行くのが、帰省の常なのだけど、ババはみぞれを覚えきれてない。みぞれを見て「けだまか」という。けだまは入った。だけどみぞれは入らなかった。おそらくその辺りのどこかを境に、記憶がいっぱいになってしまった。


22日(火)。朝の新幹線で山形から戻る。夕方に立川へ。友人のYくんの結婚式の2次会に出席。立川は、かつて一度来たことがあったようなないような場所。多摩モノレールがビルの間から出てくる風景は圧巻で、思わず見とれる。

2次会なのでラフな格好でいいかとTシャツにスニーカーで出席。周りは全員スーツだった。ギリギリでジャケットを羽織って行ったのが救い。演劇学校からの付き合いのYくん。卒業後も、お芝居を一緒に作ったりして、いろいろお世話になっていた。感謝のアレもあり、内緒でお祝いビデオを作った。演劇学校の同期たちやその他、いろんな方からコメントをもらい、それをつなげる。ある程度、想像はしていたのだけど、2次会に出席するのは演劇関係だけではない。というか新郎新婦の職場の同僚や学生時代の友人たちが大半で、むしろ演劇関係は少ない。そんなアウェー感のある場所でどうにも演劇関係者寄りの映像を作ったのが失敗だったか。他の人たちポカンとしてた。うーん、そりゃそうかと思いつつ、まぁ、Yくんが喜んでくれればそれでいいかと納得。2次会自体は、素敵に進行。やはり幸福な時間っていうのはいいもので。Yくんには、なぜ参加者一人一人にiPodnanoが贈られないのかと不満を告げ、幸福の時間は終了。
残った人だけで3次会。楽しく飲んだのだけど、一点、その場にいた人の発言にムキになってしまった私が、ムキになって発言を仕返してしまい、「松瀬のそういうところがまだまだだめだな」と周りの人たちから言われる。その通りだなと思う。なかなか変わらんもんだ。