東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『6月7日に生まれて』

6月の7日(火)の12時11分に、子供が産まれました。
女の子です。

山形の実家に戻っている嫁氏から連絡があったのは、土曜の朝8時前で、破水をしたので病院に入院すると言われ、予定していた仕事を午前中になんとか片付けて、山形へ向かった。当初の出産予定よりも2週間ほど早く、予想外。初産は予定日より遅れることが多いと聞いており油断していた。
なんやかんやと到着は17時過ぎになってしまったのだけど、病院に着いてみるとまだ嫁氏もケロッとしたもので、平穏な雰囲気。破水はしたものの陣痛はそれほど来てないとのことで、夕食はどうしようかと義母さんと相談するくらいのものだった。

土曜はそのまま病院に泊まったのだけど、結局音沙汰なく、翌朝は先生の説明を受けて、陣痛誘発剤を使っての体制を取る。薬の効果もあって5〜6分置きに陣痛は来るようになったものの、それでも陣痛の規模はまだまだ少なく、結局夕方まで投与を続けたのだけど、出産までの道のりでいうと2割ほど来たくらいというところまでしか至らず、ひとまず誘発剤の投与を中断した。破水してしまうと、それはつまり胎児を守る保護膜が破れてしまったことでもあり、場合によっては外部の病原菌に感染する恐れもある。一番不安がっていたのは嫁氏だった。土曜の早朝からここまでほぼ寝ずにいて、お腹の中の子供のことも心配していたし、出産に臨む自分の体力のことも心配をしていた。

僕はといえば、そんな嫁氏を見ていることしか出来ず、やれることといえばせいぜい何分おきに陣痛が来ているかをメモるぐらいであり、そんなことしかしてないのにうたた寝とかもしてしまう始末であった。

日曜日は再び朝から陣痛誘発剤を投与。昨日以上に頻繁に、そして重い陣痛が来ているようで、辛くなっていくのが判った。当初は夕方くらいには出産出来るかもしれないという診断だったのだけど、正午前くらいに嫁氏の状態を見た先生がもっと早くなるだろうと判断し、急遽分娩室に移動することに。立会を希望していた僕も分娩室へ一緒に入った。嫁氏は産婦人科の先生の指示に従って息む。紅潮した顔からは汗が吹き出ていた。僕はただ横にいて、「がんばれがんばれ」と言葉にすることしかできなかった。

もう、頭が見えてますよ、という先生の声を聞いて、がんばれ、でてこいと思いつつ、ふっと頭に浮かんだことがあった。亡くなった猫のけだまのことだった。どうしてそんなタイミングでそんなことが頭を過ったのか。

2人の先生によって子供が取り出された。とても不思議な光景だった。生きている人の身体から、別の生命を持った人が産まれてくる。これは本当になんて不思議なことなんだろう。想像していたよりも、ずっとおとなしい産声だった。時間は12時11分。「元気な女の子ですよ」と先生が言う。まだ肌の色が赤っぽいその子を、先生はすぐに嫁氏の胸の上におく。嫁氏の胸で眠るその子をしばらくの間、ただただ見ていた。生きている。そのことに、素直に胸が熱くなる想いだった。

子供の性別は、あえて聞かないでおいた。決して運命とかそういうドラマチックなものを信じるわけではないんだけど、心のどこかでこの子の誕生を、僕らは猫のけだまと結びつけて考えていた。けだまが僕らの前からいなくなってしまった月に、妊娠が発覚した。けだまは雌猫だった。もちろん、産まれてきた子の性別が女であったからといって、それは確率論からいっても別にないことではない。偶然に過ぎない、そう思った。

産まれた子供をぼんやりと眺めていたら、出産に付き添ってくれた嫁の親戚のおばさんが声をかけてきてくれた。

「七っていう数字はね、出会いの意味があるんだけど、それは初めて会うっていうよりは、再会の意味があるの。また会えましたね、って。」

そのおばさんは、けだまの詳しい事情を知っていたわけではない。たぶん、単純に7日に生まれということで、その数字の持つ意味を教えてくれたのだけだったのだと思う。それでも、そのことをおばさんが僕に話してくれたこと、さらには破水が起きてから2日経って、6月7日に産まれたことの、その幾つも重なった偶然に、不思議な縁を感じずにはいられなかった。

心の一部分で、けだまが帰ってきてくれたと思ってしまう自分がいる。それは嫁も一緒だと思う。

だけど、それが全てではないし、子供はけだまではない。子供は子供。一部分で思ったことは、もうそれでそっとしまっておく。その子の顔はずっと見ていても、少しも飽きない。本当に、産まれてきてくれたことがうれしい。