東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『旅の記録』

おさむ氏と池袋の延辺料理の店で夕食を食べたのは3日の火曜であり、延辺料理の美味しさを味わいつつ、いつの間にか「旅にでなくてはならない」との話しになった。

振り返れば3日間で東京から山口へ、そして広島を旅した旅行から約1年。おさむ氏から「そろそろ行くべきでしょう」と言われ、「行きましょうぜ」と相成った次第。嫁氏にばれると叱られそうなので、ひとまずそのことは黙っていた。

しかし、今回は適当だった。前回は、山口県で芝居を観るという目的があり、その流れで広島に行こうとなったのだけど、今回はまず『どこへ行くか」が問われ、私もおさむ氏も漠然としていた。
「北、っていうか、新潟とか金沢とか、でも鳥取も捨てがたいかと」
「今回は土日のみですから、鳥取はさすがに厳しいかと」
「では奈良ですか」
「奈良ですかね。どうでしょう?」
互いに決めかねる性分であり、はっきりとした場所が決まらないままに日々は過ぎてしまい、結果金曜あたりに

『なんとなく、滋賀あたりに、なんとくなく』

と、ざっくりと決めて、レンタカーを借りた我々は土曜の朝5時に東京を発った。

お盆の前週とはいえ東名は恐ろしく混んでおり、結果名古屋付近に昼過ぎに着き、そこから高速を降り、さらにゆるゆると車を進める。
「晴れて良かったですね、おさむ氏」
「ええ。ほら、茶畑も良い具合ですよ」
「お腹がすきましたね、おさむ氏」
「そうですね。ほら、茶畑も良い具合になってますよ」
なぜかおさむ氏は二言目には茶畑茶畑と繰り返すので、私はなんとなく滋賀の道を進みながらこれは茶畑を見つけなければならないぞという責務を抱きながら車を運転していた。

食にうるさい私たちは、地元のものを食べるべしという強い意識があったので、お腹は減っていたけれど簡単に入れるチェーン店などには目もくれず、その土地でしか食べられないであろう店を探した。それは勝ち負けの問題になりつつあった。つまり、満足できない食事は負けであり、チェーン店に入るなどということは言語道断だった。我々は負けたくなかった。しかしなかなか店は見つからない。たまに個人経営だろう店を発見するも、その外観に入店する勇気がわかないこともあり、いよいよ腹が減って車内の言葉数も少なくなってきた。1時間は経過したと思う。何も食事に勝ち負けの概念をいれる必要はないのではないか、そもそも食事に勝ち負け等あるのかという疑念が湧いてきて、ふと見つけた『餃子の王将』で良いんじゃないかと思った矢先、一軒のとんかつ屋さんを発見し、ここぞとばかりにそのとんかつ屋に入ることに決めた。そのとんかつ屋は滋賀で2店舗しかないとんかつ屋ながらも、丁寧に作られた大変美味しいとんかつであり、我々は遅い昼食に大変満足した。この勝利は、ひとえに我々の粘りの捜索が結んだ勝利であることを噛み締めながらとんかつを頬張ったのである。

その後、さらになんとなく車を進める。あれはどこだったか、滋賀にはいったあたりで山間をうろうろしていると突然開けた場所にでて、そこが一面の茶畑だった。これはと思い、車を停め外に出る。とても気持ちよく開けた場所で、一帯が茶畑。毎回、茶畑を見るたびに疑問なのだけど、電信柱の上に小さな扇風機みたいものがあり、それが茶畑に向かってまわっているが、あれは一体なんなのだろうか。疑問に思いつつも、調べることもせず毎回放置してしまう。当然、今回も調べないのだけど、まぁ、どこかで知ることが出来ればいいなと思う。

しばらくの間、互いに持っているカメラで写真を撮っていた。
あたりはやけに静かだった。ところどころでは茶畑の手入れをしている農家の方々がいた。
さらに車を走らせた。途中、気になる場所があれば車を停めた。ぼんやりと風景を眺め、写真を撮り、ICレコーダーをまわした。その場所に流れる音を録った。その日、その場所でその時に出会ったものを撮る、録る。同じ風景だとしても、二度と同じ時間は流れては来ない。唯一の風景。

ふと、奈良の方に行ってみようかという話しになり、夕方の町を奈良方面へ向かうことにする。ナビにざっくりと奈良の中心地を登録し、あえて脇道にそれながら適当に走る。すくなくとも迷子になることはなく、とはいえ大きな国道とは異なる道を進む。ナビを使った新しい寄り道の仕方。

途中、夏祭りをしている会場を見つけ、そこに立ち寄る。広々として気持ちの良い公園で、よさこいのような踊りをいくつものグループが披露していた。空が広くてとても気持ちが良かった。

奈良へ着いたのはもう20時ぐらいだったように思う。奈良の路地の雰囲気や、やけにひっそりとした感じ。京都とは異なる町の印象。いくつかあるビジネスホテルはすべて満室。泊まる場所がなかった。呆然とした我々は、翌日のことも考えて三重の四日市市まで引き返すことを決断。奈良の滞在時間、約1時間ほど。次回はせめてもう少しゆっくりしたいと思った。

四日市市まで戻った我々は、駅前のアーケードの方へ夕食をとりに向かった。アーケード型の商店街というのは歩くと楽しい。東京でも高円寺とか阿佐ヶ谷のアーケードを歩くのは好きだけど、僕が行ったことのあるいくつかの都市は、繁華街といえばアーケード型の商店街の印象がある。23時過ぎていたこともあり、居酒屋以外の飲食店はだいたい閉まっており、止む負えず『荻窪ラーメン』と看板が出ている店に入る。四日市荻窪ラーメンもなぁと思ったけれど、予想外なことに『荻窪ラーメン』と称しながら店舗は中京地方のみにしかなく、ここでも我々は食に勝利をした気になった。
ホテルに戻ってぼんやり。気が付けば寝ていた。

翌日は、中央道沿いを帰ると決め、ひとまず高速に乗り岐阜県あたりまで走り、そこから一般道に入る。そこからは必殺のナビで、ざっくりと長野県諏訪のあたりにナビをうち、適当に脇道を走らせる。と、『農村景観日本一』という思い切った看板を立てている岩村町というところに入り、日本一を拝みましょうぜということになり寄り道をすることに。日本一かどうかはよく判らなかったけれど、展望台からの風景はさすがに見晴らしは良かったけれど。

さらに長野方面へ。国道と表示された道を進むも、驚く程の山道、しかも車一台が精一杯の道を走る。おさむ氏は片側一車線のような道路を走ると、言葉数が少なくなり、極度に警戒をするようになっていた。国道沿いにあった蕎麦屋で食べた蕎麦がすごく美味しかった。

以前、山口まで走った時同様、レンタカーにはCDをたくさん持ってきた。前回は相対性理論の『LOVEずっきゅん』を男二人で熱唱するといういささか気持ち悪いヘビーローテーションであった。今回はおさむ氏の持ってきた井上陽水さんのアルバムの中の『Make up shadow』と『最後のニュース』を、やや井上陽水さんの歌い方をまねつつ歌うというのがヘビーローテーションになった。なぜ今、井上陽水なのかは不明ながらも、我々は夢中で歌った。中央道の渋滞に巻き込まれながら夢中で歌った。

振り返れば2日間、車を運転しっぱなし。ずいぶんと走った。当初の目的は、どこか一箇所、町に腰を据えて何時間もあるいて写真を撮ろうというものだったのだけど、結局町から町へ、風景から風景へと流れるままに過ぎていった。
改めて自分の写真をみると、空ばかりみているなと思う。もっと距離感の近いものをとらねばならないなぁと思うけど、まったくもって空ばかり見ている。夏の空はいい。入道雲が大好きだ。

わずかに2日間ではあったけれど、夏を車で走った。気持ちよかった。