東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『休みの日を久しぶりに』

またもやあれやこれやで、あっという間に時が過ぎ。


友人と会おうと約束していたのに、こちらの都合で行けずキャンセルさせてもらったり、不義理も続く。
と、思いきや0時も過ぎたあたりで連絡をくれた友人と久しぶりに会おう飲もうと相成り、急遽僕の家で宅飲みをしてみたり。久しぶりに会えてすごく楽しかったけれど、2日ほど会社で泊まった後だったので、いつの間にか寝てしまい、自宅なのに介抱される始末。でも、楽しかったであります。


それでやっと今日(10日日曜)に一息。
ふと、爆音で映画を見たくなり、極力(近所から不穏に思われない程度に)爆音で自宅映画鑑賞。ジム・ジャームッシュコーヒー&シガレッツ』。

洗濯などをしてから外へ。雑司ヶ谷あたりを散策。法明寺あたりの桜がすごくきれいで良かった。それから投票へ。

古本屋の往来座にて本を物色していると、小栗康平さんのエッセイ『見ること、在ること』が置いてあり、逡巡した上で購入。

さらに池袋を徘徊しようと思ったものの、腰の薬を家に忘れたので帰宅。それでついでに仕事。仕事のBGMに爆音映画をと思い、『ガタカ』を再生。『ガタカ』、本と音でも楽しめるぜよ。

自宅仕事を終えて、シネリーブル池袋へ。
ソフィア・コッポラ『SOMEWHERE』。
冒頭の、環状の道路を車でグルグルとまわる長い画は、ラストの直線道路を走る車の画と共に、映画の象徴としてある。主人公である男の抱える苦悩とそこからの解放であることの暗喩でありながら、自分の名誉の証しでもある車を捨てる行為は、それこそ直喩としてもあるように思える。
ことさらに娘と父親の関係性を強調する宣伝だけど、そこは実は映画では強調されてないように思う。あくまで主人公は男。娘登場までの引っぱり感よ。


帰ってから都知事選の結果を知る。そうきたか。


娘、順調に育っている。
娘が生まれて初めての春。今年は桜を一緒に見れないのが、少々残念。
愛おしくなる写メールが届く。何をみている、娘。