東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『涼しいくらいの一日』

tokyomoon2011-06-15

いくつかのニュース記事を読み、やりきれない気分になる。どこかで他人事のようにそれを見ている自分がいて、それもすごく嫌になるが、何も行動に起こせぬまま、今を保つだけで精一杯になっている。


娘子を見ていてずっと飽きないのは、彼女の行動はすべて興味から生じており、気になることはひとまず触れてみようとするから。そして目を凝らす。お腹が空いたり、欲しい物があると欲求が満たされるまで泣く。機嫌の良い時は、彼女の気分で歌う。それを見ているのが本当に楽しい。最近、娘子を僕に抱っこされるのが楽しいらしい。どうやら高いところからいろいろ見渡せるからだろう。腰が痛くて下ろすと、もっと抱っこしてくれとせがんで泣く。泣かれたくないので、また抱っこする。すると、泣いていたのが嘘の様に泣き止む。


蒸し暑さが無かった一日。松田正隆さんが主宰をされているマレビトの会が、今年定期的に行っているマレビト・ライブという催しで演じられる「N市民 緑下家の物語」というテキストが公式サイトからダウンロードできる。原爆が投下された街に暮らす家族の物語。街の形を、声で語りテープレコーダーに記録する行為をする三男。その台詞。


「この街のすみずみまで、おれの声で描写したいと思っている。すると、この街がおれものもになったような気分になる。それに、ユミ姉さんが帰って来たとき、ユミ姉さんがいなかったあいだのこの街のことをユミ姉さんが取りかえすてがかりにだってなる」

声は、形があるものではないけれど、その空気の振動は、それを発した人物のモノであり、同時に誰もが共有する音となる。