東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『内省の休日』

8月中は、ほとんど洗濯なども出来ず、気がつけば家のベランダがえらいことに。
植物の成長の早さに驚きつつ、それほどまでに洗濯も出来ずベランダに出ることがなかったことに余裕の無さを感じつつ。働いていた、俺。

土曜は、用があって久しぶりに実家へ。いろいろ親と話しをする。親に心配をかけまいとは思いつつも、どうにも心配をかけてしまうところあり。申し訳ない次第。それから池袋に戻る。そのまま家に帰るのもなんだかと思い、久しぶりにTUTAYAへ。
RE:SUPERCARを借りようと思ったのだけど、無いという予想外の展開。
とはいえ、先日CDを買いまくっていたので、さらに買うっていうのも気が引ける。しばらく具合を見ることに。
5本DVDを借りて会計。驚いたことに1250円ほど。映画1本見るより、DVD1本買うより安い。まぁ、当然といえば当然なのかもしれないけれど、本当に久しくレンタルしてなかったので新鮮に驚く。あと、準新作ってカテゴリーがやけに期間長くないか。ずいぶん前に思える映画がいまだに準新作だ。


耐久の気分もありつつ、DVDを見まくる。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ罪とか罰とか
富永昌敬『乱暴と待機
相米慎二『ションベンライダー』
若松孝二キャタピラー
大島渚『日本春歌考』

感想はひとまず略。図らずもすべて邦画。


日曜。目覚めたら11時過ぎ。久しぶりに掃除機などをかける。


新文芸座ゴダールの『ゴダールシアリスム』と『映画史』がやっていてそれを見ようかと思ったけど、ネットを徘徊していると、池袋コミニティカレッジで行われる劇作家宮沢章夫さんの講義が当日参加でも受講可能とのことでそちらに行くことに。
その前に、嫁氏から買い物指示を受けていたヘリウムガス缶を購入に西武百貨店の上階にあるロフトへ。娘子に買った風船がしぼんできたのでヘリウムを入れて復活させようとのこと。日曜のデパートはいかん。家族連れの買い物客を見ると、娘子が恋しくなる。ヘリウム缶を購入し、コンビニから山形へ発送。それからコミニティカレッジへ。初めて行く。


宮沢章夫さんの『演劇文化論』出張講義。まだ今の仕事をやる前に、余力があった頃、大学の授業にしばしば忍び込んでいた。そうして受けた授業の面白かったこと。久しぶりにそんな気分を体験しつつ。
『祝祭から内省へ』というキーワードは、宮沢さんの日記で知っていたものの、具体的な言葉として響いてこなかった。講義を受けて、それが自分なりになんとなく理解出来た。

ある演劇(演劇行為/もしくは劇空間)を語り手と受け手が共有することで、互いに理解を深めることに繋がる演劇は、祝祭性をはらんでいる、とするならば、それとは異なる演劇として内省を喚起する作品がある。それは太田省吾さんの作品であり、昨年で言えば、飴屋法水さんの「わたしのすがた」であり、相模友士郎さんの『DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー』などがあると語る。それらの作品は、それらの舞台に触れることで、むしろ自分の中にある考え方を問い直すことを喚起する。祈りにも似ていると言っていた。祈りの行為は、神と向き合うようにみえて、最終的には、自分を見つめ直す行為になる。内省。


講義を受けて初めてその言葉の意味が判った。
それで気付いたのは、僕の演劇的志向は、観るにせよ作るにせよ『内省』を志向しているなぁと。祝祭性をはらむ演劇がどうのこのうのってことではなくて、単純に自分には『内省』をするための一つの手段として演劇が必要なのだと思う。
僕にとっては松田正隆さんのマレビトの会の作品が『内省』を強く体験させてくれた作品だなぁと思う。

いずれにしても、とても示唆的な講義でした。
久しぶりに少し余裕をもてた休日。

もちろん、この日がいろいろな出来事の節目当たる日であることも理解しつつ。