東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『肉、いる?』

帰宅途中に、家常さんから電話をもらう。開口一番、
「肉、いる?」
肉かぁと思って、一人だし食べきれねぇなぁと思って、オロオロしていると、僕に電話をかける前に嫁氏に電話をかけてくれたそうで、「冷凍しとけば食えるから貰っといて」と言われたらしい。

それで家常さんの家に取りに行く話しになり、一度帰宅してから自転車ででかけようと外に出ると、ドアノブに肉の固まりの袋が。ハタと見ると家常さんが自転車で帰ろうとしている。あれ?そういう話になったけかと思いつつ、慌てて呼び止め肉を冷凍庫にいれてから一緒に夕食を食べにいく。

といっても家常さんはもう夕食を摂ったあとだったので、恐縮にも一人でチキンカツとかを食べる。しかも大盛りで。それでしばしおしゃべり。その後、これから徹夜で仕事だとのことで事務所前まで見送り、思いつきを少し話す。ちょっとしたことでもいいから実現したいです。


それからTUTAYAに諸々返却に。返却のついでにまたふらりとDVDとCDを物色。CDの品揃えが、どうも個人的に、アレだ。どうしてTUTAYAが嫌なのか理由も思い出した。つまり、レンタルの連鎖が止まらない。返した矢先にまた借りてしまう。

家路に向かう際に、嫁氏と電話。肉はジップロックに、薄くのばした状態で保存せよ、と指令を受ける。あと、電話の向こうで、娘子がずーっと「ゴーシュ!ゴーシュ!」と叫んでおり、「ゴーシュって何?」と聞くと「歌ってる」との返答。帰ってから肉を袋から出すと、ジップロックの必要はなかった。未開封だった。土曜に、かげわたりの面々がオールナイトのライブイベントに行った際に残った肉。昨年は、僕もそのイベントに行った。楽しかった。今年も行きたかったけど、行けなかった。フランクフルトがあったので2本ほどフライパンで焼いて晩酌。

マシュー・ヴォーン『キック・アス

お国柄なのか、何かあっちゃあこの国の映画はヒーローが出てくる。無敵でビシバシと敵をやっつける壮快痛快ものとして、かつてのアメコミヒーローものがあったとするならば、勝手な認識としては、スパイダーマンくらいから顕著に悩める青年主人公の様が片方にある映画として描かれているように思う。違うといえば、『キック・アス』の主人公は、クモの力など無い一般の青年であるということ。『劇的』のない生活の中で、ヒーローを夢見るのは、自分はこんなもんではないという願望。とてつもない痛みを伴って、それまでの自分とは異なる何か(それはイメージしていたヒーローには自分は絶対になり得ないという理解と、それからの日々がそれまでと変わらぬ日常に戻ろうとも)を得た主人公は、前のめりに日常を肯定できるのだと思う。


ハローハロー。