東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『インフル発症』

嫁氏が体調を崩した。病院に行って診てもらったらインフルエンザA型だった。報いだろうか。無職なのにあらかわ遊園で遊んだことへの。しかし報いだとするならばせめて僕になってくれればいいものを。まぁ、嫁氏は嫁氏で友人と宮崎地鶏を食べて酒を飲んでいたので、その報いかもしれない。


何より不安なのは娘子にインフルエンザがうつってしまうのではないかということ。それだけは怖い。タラレバなのだけど、予防接種は受けておくべきだった。僕だって身体は強い方ではないので明日は我が身なのだ。繰り返しだけど、娘子にだけはうつらないようにケアせねばならない。


というわけで、今日は御飯作り(主に出来合いを皿に載っける)から散歩やらを諸々一手に引き受ける。残念ではあったのだけど、今日の夜に予定していたかげわたりライブは行けず。メンバーチェンジによって新編成となったパフォーマンスを観たかった。


それはそれ。で、嫁氏は、昨日、近所の病院が休診日で絶体絶命の模様だったけど、今日は区の休日診療の病院に行って薬を処方してもらい、その薬が効いたようで嫁氏もいささか落ち着いていた。


僕は嫁氏2割、娘子8割のバランスでケアなどしつつ。


建国記念日も祝日も求職の身には関係ないが、昨日は毎日新聞原発反対の意見広告が出ていてすかさず新聞を購入。一面記事でシンプルで、力強い。この日に広告を出すことの決意。そして、1月後はあの日から1年後でもある。そういう節目をことさら強調するのもあまり好きではないけれど、とはいえ決意を節目にすることの意義はあると思う。個人的にも原発に対しては反対なので、とても心があつくなった。福島県双葉町の井戸川町長の話を読むと、尚更原発反対の思いは強くなる。
だから石原東京都知事コメントを読むとさすがに苛立ってくる。挫折や失敗を克服するというのならば、原発というモノに頼ってしまったこれまでの過去を、別のエネルギーを探すという克服の仕方で乗り越えるという選択はとれないのか。そもそも、原発住民投票は「原発反対」あり気ではないはず。本当に必要かどうか、個々がきちんと意見を持って決めようということではないか。その住民投票で「賛成」となることだってそれが投票の結果ならばやむなしだ。知事の意見は、一人一人の意見を聞くとかそういう視座がまったく無い。逆に言えば投票を行えば「原発反対」が票の多くを占めると思っているからこその発言なのかもしれないが。そもそも、これほど感情的な人にセンチメントを否定されたくない。


それにだ。最終的に、人が何かモノを決めるとき、センチメントを根拠にして何が悪い。


求職だろうが、無職だろうが、原発反対したことで電力費用が増えようが、断固僕は反対だ。