東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『Pina』

嫁氏からの進言もあり、まだ一月ほど振込まではかかるのだけど、失業手当の申請を出しにハローワークへ。4月までに仕事が決まれば無用だし、当然それまでに仕事を決める腹ではあるので、それほど気乗りはしてないのだけど、それはそれ。


窓口にて申請をしている時、ふと壁に貼ってあるハローワークカードの参考例が目に入った。その名前。

『明日勇気』でアシタユウキと読ます。

そんな名前をつけて何を無職の人たちにアピールしているのか。軽くいたたまれぬ気分になりつつ。で、嫁氏は「こうなれば私は内職をする」と言い始め、ネットにて内職を調べたのだけど、求人として内職を調べるのは正社員や契約、バイトとは異なり意外と難しいことが判明。そこでハローワークに尋ねたが、ハローワークでも内職の求人はないらしく、別に区の管轄で斡旋を行っている部署があるらしくそちらへ行ってみる。が、やはりそこでもあまり内職の求人はないらしく、登録だけして何か入ったら連絡をもらえることに。「あんたの就職よりも先に私の内職が決まったりして」とそれまたアレなことを言う帰路。アシタユウキよ、俺にも力を。


そんな最中、ヴィム・ヴェンダースの『ピナ』が公開され、新宿のバルト9でレイトショー上映もしていると知り、いても立ってもいられず。嫁氏に懇願し、娘子を寝かせた後に電車で映画館へ。

映画冒頭、劇場のステージ上でのパフォーマンスが映し出される。カメラは製作者の主観によってパフォーマンスを切り取るし、カットも割る。人物目線やカットバックが入ることで、どういう立ち位置でこの映画を観るべきなのか戸惑う。舞台を観る時のような自由な視野が無い。舞台上にあがった位置のカメラポジションから聞こえてくる息づかいや足音、服の擦れる音さえも、実際に舞台パフォーマンスを観ている観客席以上に鮮明に聞こえてくることが少しばかり不自然に思えてしまった。

最初のうちは。
ひとたび、ダンサーが屋外に飛び出して踊り始めた時、そんなモヤモヤは吹き飛んだ。

とても魅力的な空間で、繰り広げられるパフォーマンス。音楽と共に聞こえてくる風とか鳥の音とか、地面を踏みしめる足音も含めて、『映像作品としてのダンス』がそこにあって、そうだ、これ舞台じゃなくて映画だと気付いて、素直にそれを楽しみだしたらもう釘付けでした。

気がつけば、舞台パフォーマンスと舞台とは別の場所でのパフォーマンスの境目も忘れて、『映画』を観ていた。