東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『議論する子供たち/ヒロシマ・ノート』

雨が降るまではいかぬ曇り空。やや寒かったけれども、もはや真冬の寒さは無い。


買い物のついでに公園にでかけた。そこで小学生が3人遊んでいた。鬼ごっこをしていたが、足が遅い1人が自分ばかり鬼になることに不満を抱いたようで、突然遊びを放棄してしまった。3人の雰囲気が険悪になる。すると、そのうちの1人が「じゃあ、鬼ごっこ辞めよ!」と言って、その文句を言った子に「何して遊ぶ?」と尋ねた。

そういえば子供の頃ってこうやって細かい衝突が毎日のようにあった。その1つ1つで、立ち止まってはみんなで解決していた。不満が出る度に解決するために相談する。それはとっても効率が悪いことだし、時間もかかって面倒なことかもしれないけれど、実は正しいやり方、というか、おそらく人が人と関わっていく以上、この方法しか無いのだと思う。子供たちは真正面からそれに向かっていく。

で、不満を言った子が「色鬼!」と元気に言うと「あ、それは嫌だ」とあっさり否定されたのには笑った。結果、『だじゃれしりとり』なるものを始めたので、なんとなく聞いていたけど「リンゴ、ゴリラ、ラッパ…」といつまでたってもダジャレの要素は入らないまましりとりは続いた。


大江健三郎さんの『ヒロシマ・ノート』

大江健三郎さんが原爆投下から約20年が経った広島を訪れた記録とそこから立ち上がる思考のノート。最初に訪れた時に参加した第九回原水爆禁止世界大会で、様々な人たちの『正義』が入り乱れる空間に身を置いて、そこに集う人々が断絶していると感じた大江さんはこう言葉にする。

平和公園は陽の光のさなかで空虚だ。二万名の参加者たちによってあふれかえるはじのその場所の空虚を眺めながら僕は茫然とする。

そして大江さんの視線は、そういった公の場で飛び交う『正義』から、広島の町の中にいる『広島の独自の人間、広島的な人間』に向けられる。それは医者やライター、哲学者や看護士、そして原爆症を患う人たち。その人たちは自分の置かれた立場で、自分の出来ることを行う人たちであり、大江さんはその人たちの原爆と向き合う姿に『威厳』を見出します。そして、大江さんは威厳あるその人たちと自分が共に原爆について向き合うことが自分にとっての『威厳』ある原爆との向き合い方だと考えます。


そして僕は、(中略)、真に広島の思想を体現する人々、決して絶望せず、しかも決して過度の希望ももたず、いかなる状況においても屈伏しないで、日々の仕事をつづけている人々、僕がもっとも正統的な原爆後の日本人とみなす人々に連帯したいと考えるのである。

振りかざすような『正義』ではない立ち位置から原爆と向き合う。これらの言葉は、高橋源一郎さんが先日つぶやいていた『正しさ』とどこかで繋がっているように思います。親鸞の教えを引用しつつつぶやいた言葉

親鸞は、(中略)、「悪」と「善」の距離を縮めた。もちろん、親鸞は「悪い」ことをしていいといったのではない。そのようにせざるをえない人間という生きものの運命を、深く知るべきだといったのである。少しだけ「悪く」、少しだけ「善い」、そういう生きものなのだと。

『悪』と『善』で割り切れない合間。『絶望』と『希望』の合間で屈伏せずに日常を生きること。『威厳』を持ってその割り切れない場所に立つこと。


そして、改めて自分と向き合う。間もなく1年が経つ今、闇雲な『原発反対』ではなく、何をもって『正しさ』と『威厳』を持ってそこに立つか。