東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『娘、ダダる』

昨日、夕方になって無理やり半休をもらう。というのも、先週は土日働いており、脚本を書いており、睡眠やらも削った状態のあれやこれやで、で、今週の日曜も仕事という流れになり、どこかで休みをと思いつつも平日は丸一日休むのが厳しそうだった。無理矢理休む。といっても時計を見れば16時を過ぎていたので、半休ってほどなのかどうかも疑問だけど。業種によっては17時で仕事終わる人々もいるだろうし。


帰宅して、家族で久しぶりに夕食。最近、娘子の自我がはっきりしてきており、あれはヤダこれはヤダとはっきりと言うようになった。つまり、わがままなのだけど。僕は、まぁ、ごくたまにしかそれに接しないのだけど、嫁氏はそれと毎日バトルを繰り返しており、それが大変なのだと言う。全て反対のことを言うのだという。ご飯食べよといば、食べないといい、お風呂入ろうと言えば、入らないという。こればかりは、他の子との比較という事も出来ないし、難しい。ただ、日々それと面と向かわなければならないのは確かにきついかもしれない。


で、昨日。嫁氏の友人が20時くらいにやってきて、しばし家で雑談をしたのち、嫁氏とその友人が外で飲んでくることにあいなり、娘子の面倒を僕がみることになった。最初は2人でままごと等をして和やかにすごしていたのだけれども、嫁氏がいないことが分かった途端に、号泣。外へ出る。おかーのところへいくと猛烈なダダをこねる。なんとか、泣き止ますためにテレビをつけるなどあれこれでごまかす。しかしなかなかダダは終わらない。やっとこさ、おさめた時には僕も疲れて眠ってしまった。確かにこれは大変なのだろう。もちろん、そんな大変な面ばかりではなく、娘子と接することのヨロコビの方がずっとたくさんあるのだけど。


今日。仕事上の用件でとある芝居のゲネプロを観る。いくつかテクニカルな面や演出上の点で疑問を感じるところがある。それと、映像。映像を使うこと自体は舞台では決して目新しいことではないし、単なる仕掛けのための映像ならば、それは有効とは言えない。間近に住みつつ、まっっっっったくフェスティバルトーキョーに接することができず、そこから遠く離れた場所にある、また別の舞台を観る。うぬう。遠いなぁ。