東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『9番を持って、この日から』

極めて、最悪の結果に、本当に絶望的な気分になっている。
本当にバタバタしていて、ふとブログを見返して、12月頭に秩父に行っていたことが遠い昔のように思える。脚本と、抱えた仕事の締め切りで本当にギリギリの日々を送っていた。やっと締め切りを終えて、一息つけたのは、今日だった。脚本は、今、監督の手に渡り、監督によってリライトされている。


晴れて、この時期にしては気温も上がり、本当に気持ちの良い一日だった。午前中だけ少し職場に行き、すぐに帰宅。久しぶりに家族で昼食を取り、鬼子母神で行われている「手創り市」を散策した。夕方に投票をして、それから近所の居酒屋で食事をした。何の気なしに入った店だったけど、料理がすごく美味しかった。娘と風呂に入り、21時過ぎに娘が眠り、それで気持ちよく一日が終わるだろうと思っていたが、最後の最後で、本当に嫌な気分になった。というか絶望的な気すらしている。なんなんだ、これは。とはいえ、これが民主主義。多数の人が選んだことなのだと認めるしかない。


昨夜、関わらせていただいている脚本に関する件で、沢田研二さん主演、長谷川和彦監督の「太陽を盗んだ男」をyoutubeで観た。それで非常に興奮して、このエネルギッシュなモノを脚本で書いているものにも込めれればと思った。


とてつもなく嫌な気分になった。そんな中、監督から脚本のリライトがあがって来て、それを読んで救われた気になる。最後の最後で、人の手に委ねてしまった脚本だけど、根本としては「真摯」さを描ければという意志をきちんと汲んでいただき、それをもっとクリアーにしていただけた。自分の実力不足を痛感しつつ、それを越えて素直にすかっとさせてもらった。
監督のリライトが第9稿に当たる。「太陽を盗んだ男」は、自分が「9番」だと主張する。その主張の意義は、「太陽を盗んだ男」をご覧いただきたいが、僕は、僕の関わったこの脚本の「第9稿」がこの日に完成したことを、本当に奇妙な縁でありながらも、それは偶然だけど、この脚本に関わったチームの「真摯」さが為したことだと信じたい。


僕は、政治など出来ない。だから僕の立ち位置から社会と「真摯」にぶつかりたい。
絶望などしてられない。この「9」番が、やがてなんがしかの形になって世に出現することでもって、僕は社会とぶつかっていく。