東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『今日という日』

今日は、午後からの出社だったので、午前中は娘子と公園で遊ぶ。砂場で遊んでいると、近所の幼稚園の子供たちだろうか、公園まで遊びに来たようだった。子供たちが遊びはじめると、娘子も一緒に遊びたいので、彼らに交ざる。どうやら彼らは4〜5歳の年代らしく、同年代では大きく見える娘子が彼らの中ではやはりちょっと小さく見えた。「一緒にお団子作ろう」と砂場に誘うと、彼らは見事にまんまるな団子を作る。


それから幼児が受けることが出来る予防接種をしてもらいに病院へ。注射をされても泣かなかった娘子だったが、診察室を出ると、途端に泣きはじめる。何事かと思ったけれど、注射を我慢したご褒美がもらえなかったことで哀しくなったという。受付の人たちがそれを聞くと、おさるさんのシールをくれた。娘子はおさるさんのシールにご満悦のご様子だった。


電車に乗ると、「爆弾処理のため電車が運休しております」という聞き慣れないアナウンスが流れる。どうやら不発弾が都内で見つかったようで、その処理に当たっているため、その付近の電車に運休があったのだとか。朝からその話題は出ていたらしいが、なにせ娘子と公園で遊んでいる身ではよくわかならい。アナウンスをよくよく聞くと「不発弾処理のため電車が運休しております」と言っていた。さすがに爆弾処理とは言わないか。


夜はとある会に参加するため、新宿へ。で、埼京線の先頭車両に乗ったのだけど、そこに防犯カメラが設置されていた。それって、もうずいぶん前からあるのだろうか。電車に防犯カメラというこれまたちょっと過剰な組み合わせに驚いた。どうなってるんだ。そして、それとは関係なく、西新宿のビル街はいつみてもなんだか未来都市のようで、ぼんやりと口をあけて見上げてしまう。


家に帰ってとある件を嫁から聞く。詳細な事情を聞いていない以上、憶測はできてもそれ以上のことは好い加減に言えることではない。買い物を頼まれたので、そのままなんとなく歩こうと思い、嫁にも「一緒に歩く?」と声をかけてみるが、娘が寝ているのに1人にはできないだろう、と当然のことを言われる。それは、そうだ。娘子を1人には出来ないのだ。自分は何を考えているのだろう。出来ないのだ。それは出来ないのだ。