東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『話し合い/授業/映画2本』

やっと、と言っていいのかは分からないけれど、梅雨しくジメジメして蒸し暑くなってきた。洗濯物が乾かずやっかいであり、外へでたがる娘子をなだめるのは難しい季節。


10日(日)。午前中は公園で遊ぶ。同年代くらいの男の子が公園で遊んでいて、交ざって遊ぶ。男の子が、カタツムリの殻を見つけたらしく、「ちょうだいちょうだい」と娘子が言うが、男の子は「いやだよー」といって逃げ回る。最初は冗談のように始まった追いかけっこだったが、そのうち、カタツムリの殻をあげないことに頑になり、娘子はもらうことに必死になり、どこか行き違いがうまれた。その後、すでにそのカタツムリから興味がなくなっていった頃に、男の子が「あげる」と殻を渡してくれた。娘は思い出したように「これはオカーにおみやげにするね」と自分の三輪車のカゴにのせた。その後、別の小さい男の子が砂場で遊んでおり、お父さんとお母さんと山を作って遊んでいた。「一緒に遊ぼう」と娘に声をかけてくれたが、娘はなぜか、砂を男の子にかけるように投げたので、それを叱る。彼女の感情の矢印が、いろいろなところに向かっていた。


午後からは家常さんの家にて、先々の件で打ち合わせ。具体的なことを少しずつ話していく。とはえい、現実的な部分で問題も多い。打ち合わせの途中、突如、娘が泣きだし「うちに帰る!」と言う。それで、僕が娘を抱っこして近所を散歩。雑司ヶ谷の周辺は、住宅街は特に落ちつている。長閑で、路地が多く、入り組んでいる。地元の人でないと、迷ってしまいそうな路地。そこを歩いているうちに、娘は眠ってしまった。


打ち合わせの後、なんとなく残ったメンバーで夕餉。雑司ヶ谷の住宅街にある居酒屋。家を改装して作ったという小さい居酒屋。雑司ヶ谷を題材にした『さらば、雑司ヶ谷』の本が入り口に飾ってあったので、ご縁があるのですかと聞いてみたら、親族だとか。驚くよ、その繋がり。で、その本に書かれている、地元の祭り「御会式」のくだりは、地元の人が読めば間違いだとわかる記述があるらしい。そういう裏話が聞けたのは面白い。で、『さらば、雑司ヶ谷』を読むと、雑司ヶ谷という土地が古くからある土地で、そこに住む住民の方々の繋がりは強いというか『濃い』感じを受けたが、その居酒屋の店主さんから話を聞くと、やはり今でもそういう縁の力が強いことを感じる。


そういった話もしつつ、他にもいろいろな雑談。愉しかった。22時半頃帰宅。


11日(月)。4回目の授業。先々週撮影したワンカット映像を改めて見直し、演技に関して思うことを話す。それから『モンタージュ論』について話をするため、クレショフ効果についての映像や、『戦艦ポチョムキン』のオデッセイの階段の場面を見せる。こういうこともYoutubeに映像があがっているからできるわけで、本当に便利な世の中。演技について思うことを話す。表現しようと誇張しなくても、観る側は、映像の中から何かを得て、勝手にいろいろ想像する。大事なのは、押し付けるような表現をすることではなくて、観る側の想像力をかき立てるように、映像の中に存在すること・・・といったことを話したつもりだったが、伝わっただろうか。話すことで僕自身も気付くことがありとても勉強になるのだけど、話ばかりだとやはり退屈そう。次回は実際に演技をやってみようと思う。そのために、ちょっとした台本を書こうと思う。うーん、独学だから、なんとも、いえないけれど、人前で話すことで僕も考えることがあり、とても勉強になる。


そういえば、ネット上で、新海誠監督の『秒速5センチメートル』が観れたので観た。細かい背景描写によって喚起されるものがあったし、水橋研二さんの声が僕は好きなのだけど、それにしても饒舌なモノローグだった。あそこまでしゃべらす必要はあるのだろうか。種子島でロケットが飛んでいくシーンはすごく好きだったけど。


レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』を観た。本当に良かった。花火のシーンの圧巻なこと。ドニ・ラヴァンの路上生活者を体現するあの佇まい。面白かった。


そして蒸しっとしつつ、まだ風は涼しい夜。