東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『徐々に寒くなってきた』

土日は休みだった。山形の義父さんが仕事があって東京へ来た。迎えにいきつつ、近所のうどん屋「硯屋」へ行く。ここのうどんは相変わらず美味しい。それから義父さんの仕事先であるサンシャイン池袋へ。義父さんが働いている間、僕は西池袋公園へ。


『フェスティバルトーキョー』のオープニングイベントの、イェリネク『光のない?プロローグ』のリーディングを聞きにいく。いとうせいこうさんの力強い言葉が印象に残る。何かを主張するではないのに、言葉に意思があるような、強度のある言葉。そこに宮沢章夫さんの言葉や、DUBが入り、さらに第三のマイクからはその場にいた人たちによって言葉が生じる。言葉と音楽のセッション。そこから立ち上がるもの。とても刺激を受けた。気がつけば夕暮れからずいぶんと冷えてる。


翌日。義父さんの仕事を見にサンシャインへ。思っていたよりも人が多く驚く。『旅フェア』というもので各県の観光をアピールするイベント。どこのブースでも観光パンフレットを渡される。その圧たるや。単純にいろいろな場所の観光名所を知れるのは楽しいけれど、そういった名所とは別の、そこに暮らす息づかいのようなものに触れるように町を歩ければと思う。なかなかそういう余裕もないのだろうけれど。で、各地のどんぶりが食べられるブースがあり、久しぶりに牛トロ丼を食べた。大学の頃、生協でよく食べた。美味しかった。娘も牛トロ丼にやけに食いついていた。


夜。義父さんと食事へ行き、その足で娘と三人で銭湯へ。娘が富士山の絵を見て喜んでいた。銭湯に行くのは楽しい。髪を拭かずにはしゃぐ娘。帰りは少し冷えたけど、三人で手をつないで歩いて帰った。


で、今日。今朝、出勤前に少しばかり立寄。間もなくの場所。ワクワクしてきた。で、仕事に向かわねばならず、そこで義父さんや嫁とわかれて、雑司ヶ谷霊園を駅に向かって歩く。こういう風に、雑司ヶ谷霊園を朝、歩くのも楽しいなと思えた。


日中。仕事のつながりで、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を試写で観させてもらう。役得だなぁと思う。

子供や人々の仕草や表情、生き物、虫、草、花。アニメーションでしか描けない躍動

。

大いに笑って大いに哭くかぐや姫という人物。
底抜けの明るさも、弱さも、昏さも抱えている。
桜の前ではしゃぐ姿の、本当に楽しそうな姿はずっと観ていたくなる。
しかし、すぐに現実を突きつけられる。



劇中で、現実を超える場面。
感情が行動を飛躍させる。それは表現方法にも影響を与える。
感情が筆圧をかえる。
絵の輪郭にまで行き渡る。

しかしその飛躍さえ容赦無く、無慈悲なくらい現実へと落下する。



よろこびや、かなしみがなければ、ざわつく感情はなくなるという「あっちの世界」の言葉をかぐや姫は断固拒否する



罪も罰もある

だから大いに笑って大いに哭く

そんな人間の有り様を肯定する。

そこに生きることをみいだす。



まわれ まわれ



繰り返し唄われるその歌が、記憶を呼び覚ます。眠りから目覚めさせる。



映画の最後。登場人物たちと観客である僕は、この場所に取り残されて、月を見上げる



ここからは、自分の物語



竹取物語の話に熱い血を通わせた作品



ぐわんぐわんと揺さぶられて、まだなんだか、いろいろひきずられている


それにしても、夜が冷えてきた。