東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『a day』

tokyomoon2014-08-06

最近、夜は風が吹いてそれで暑さがしのげる。心地いい。そして朝6時には目覚まし時計のごとく娘が僕を起こしにかかる。なぜか僕だけ。嫁は起さない。その選り分けの意味を問いたい。さすがに眠いので、抵抗を試みる。「寝かせてよ!」「起きてよ!」「眠いよ!」「でも起きてよ!」朝の口論は結局単調な台詞の応酬ばかり。


日中は暑いものの、職場では冷房が入っており暑さは苦にならない。それどころか、座席の位置のせいなのだけど、エアコンの吹き出し口の真下に座っており、冷房が直接当たるので寒くて仕方が無い。上に一枚服を羽織る状況となる。世の矛盾。


夜。仕事で新宿へ行き、いろいろ終わりかけたところで、仕事の仲間と少しばかり話をする。それでいろいろ話し込む。深刻な話もあったけど、お互いのこと、たわいもないこと、お芝居のこと、将来のことなどいろいろ話しをするなかで、何かいろいろ気付くこともある。上からどうのということではなく、お互いに。話をすることが大事だなぁと気付く。


今日という日。ずっと遠くのことではなくて、自分の身近なところで考えることは出来ないか。パレスチナでの出来事も。伝え聞く言葉を見て、考えて、想像して。どう行動にすべきか悩みつつ、自分にできることしかない。


そんな最中、動画を一つ作成。先日の山梨へ行った時に携帯で撮影した動画。
2014年7月26日。
向日葵畑の夕暮れ。
蜩が鳴いていた。風が吹いていた。向日葵は揺れていた。
娘は風の中で遊んでいた。
ゆっくりと日が沈んでいく中で、ただ、ぼんやりとそこにいた。その記録。

それが単なる子煩悩な動画としか見られないのならば、僕の力量不足なのだけど。僕がここで感じた幸福な時間と、きっとずっと先には忘れているのだろう、娘の、あの時の一人で遊ぶ姿の、その中に、何か伝えることができないものかと。いや、まだ習作か。もっと精進せねば。