東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『友人たちが観てくれる』

tokyomoon2015-02-02

大学の同期で、一緒に芝居を作っていた仲間が日曜に『この世で俺/僕だけ』を観に行ってくれて、そのことをFacebookに書いてくれていた。それによると、BSジャパンで放送した時は録画していたけど『若干落ち込む気がして』観れないままでいたのだと言う。今回、劇場で初見で観てくれて、映画として評価してくれた。嬉しかった。気恥ずかしいのは当然あるけれど、素直に嬉しかった。


今回の作品のことは、本当に幸福なことで、未だにどういう経緯で予算を集めてくれて、このようなキャスティングに至ったのか僕には判らないままで、それはプロデューサーの方々の力だとしか言いようがなく、正攻法としての映画製作から見ればおよそ遠い地点からこの作品が作られているように思うのに、蓋を開ければこのような幸福な形で仕上がって、繰り返してばかりだけど、幸福としか言いようがなく。スタッフの1人としてクレジットされているように、僕は作品の本当に一部に携わっただけなのだなぁと思う。


芝居を一緒に作った仲間たちが、それぞれ自分の仕事や家庭を持ち、それぞれの道を進んでいることが単純にすごいなぁとか立派だなぁと思う。非常に曖昧なところで、かろうじて映画や映像に携わってはいるも自分は、どんなもんだろうと思う。仕事も転々としていたし。まぁ、それ自体は自分の選んだ道なので文句も不満もないけれど、他のきちんとやっている人からするとダメな歩みをしておるなぁと。だから友人の書いた文章に驚いた部分があったのだけど、今回、劇場で観てくれて、面白かったと言ってくれたことが嬉しかった。一点、気になるとすると、その友人は、なぜか池松壮亮さんのことをバカリズムさんに似ていると言うのだけが、決して似ていない。まったく似ていない。そこだけは力一杯否定したい。


そんなこともあってか、自分も劇場で観たくなり、急だったけど思い立って、今日ユーロスペースへ行ってみた。以前からいつ行くのかと聞かれていた友人のおさむしにも声をかけてみると、急だったのに来てくれた。21時の映画館。客の入りは3割満たない程度か。公開3日目で、週の初めの月曜日。レイトショー。その動員がどれほどのものか僕には判らない。男性が少し多い印象。年代は、20代の人もいれば40代や50代と思われる人もいる。そういう様々な人にどう観られるのか、緊張する。と、上映を待っていると見覚えのある方が入ってきた。以前、一緒に芝居を作っていたKさんが観に来てくれていた。嬉しい。けど、知っている人に見られる緊張もでてきてまいった。


で、上映。音はドラマの時よりも厚くなっていたり、若干変わっているかなと思うところもある。単純に、ドラマで観た時のテレビから流れる小さい音が鮮明に聞こえてくるだけで、臨場感が違う。今となっては冷静な目で判断することが出来ないし、気恥ずかしい部分や、「ここはこうすれば良かった」と脚本上で反省するシーンもあり、1人勝手にわたわたと観ていた。


終映。自分が観ていた限りでは、エンドロールの間に席を立つ人がいなかっただけでもホッとした。せっかくなのでKさんとおさむしと3人で居酒屋へ。Kさんと会うのはいつ以来だろうか。東日本大震災後に友人と会って飲んだ席以来かもしれない。1歳半くらいの娘さんがいるとのことで、感覚的に話に入りやすかったようで、面白かったと言ってくれた。以前、僕が作った自主映画を観ていたこともあり、その作品は言葉少なに、大きなヤマもなく、静かに終わっていく話だったので、今回みたいな作品を作ることが意外だとも言ってくれた。なにせ、Kさんには太田省吾さんが好きって言ってたし(今も好きだけど)、自主映画自体、ツァイ・ミンリャン監督や小栗康平監督に影響を受けて作った作品だったから、今回の作品とはずいぶん違う。物語の導入部分から、発展していくまでの流れを褒めてくれた。そういう脚本的な部分を褒められるとやはり嬉しい。でも、見直せば見直すほど反省点もある。やはり言葉が多い印象。台詞を語らせ過ぎている。言葉が無くても映像で十分語られていることを信じることができれば、もっと言葉を削ぎ落すことが出来た気がする。物語の進行にしても、整合性とか自分の線引きの『リアリティ』に引っ張られて、なかなか飛躍に至らぬところなどあり、そこは考えるところだった。


ともあれ、いろいろとKさんやおさむしと話ができて愉しかった。何より、直接声をかけていたわけではないのに、劇場に足を運んでくれたことが嬉しい。仕事も家庭も忙しいだろうけれど、また会いましょうといって別れた。大学の同期といい、Kさんといい、おさむしといい、自分に縁のある人に観てもらえることはやはり嬉しい。