東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『その漫画、抱きたいか』

tokyomoon2015-03-04

ここ数日、晴れたり雨が降ったり、晴れても風が冷たかったりと総じてまだ冬な日々と思う。そして3月。あっという間に3月。昨夜、そこそこ強い雨が降っていたと思ったけど、今朝は晴れた。天気予報を見ると、暖かくなる気配。


この前の土曜日、仕事でとある方にお会いした。以前から面識のある漫画家の方。立ち話を少し。今、新連載に向けて作業をしていて、大変ながらも頑張っていると伺う。そこで聞いた表紙のデザインについての話は興味深かった。


要約すると、単行本発売に向けてその漫画家さんが表紙のデザインをした。それは書店に並ぶと目をひくような目立つデザインだったという。もちろん、原作者だし漫画の内容も反映したものだけど、編集の方はそのデザインに「待った」をかけた。派手なだけのデザインを否定した。もっとシンプルでもいいという。漫画家さんがそれでは目立たず、本を取ってもらえないというと、編集の方がこう言ったという。


「あなたが描いているのは大阪のおばちゃんなんだよ。確かに柄が派手で目立つよ。だけど抱きたいと思う?手に取ってもそれだけだよ。派手さがなくてもちゃんと目にとまるデザインにすれば、それを買ってくれる。俺たちは漫画家さんの作品がたくさんの人に抱きたいな、と思ってもらえるものを作りたいんだよ」


なるほどなぁと思う。目を引けばいいってものじゃない。確かにその通りだと思う。まぁ、抱きたい抱きたくないは例えだけれども、確かに大阪のおばちゃんはあまり抱きたいとは思わないかもしれない。新しい何かに接したとき、それを手に取ることはあれ、そこから先へ進む(まぁつまり購入ということ)には確かに飛躍が必要で、そのきっかけは口コミとかの評判だったり宣伝だったりするかもしれないけど、やはり本の装丁っていうのが大事なんだなぁと。とても参考になった。


それと他にもいくつか話しをした。それで少し自分の悩みも解消。何かモノを発信できることは、まず、そのこと自体がとても幸福なことで、それを多くの方には観てもらえることは幸いなのだけど、観られるからには批評がある。良かった、といってくれれば嬉しいけれど、やはり批判的な意見もある。『この世で俺/僕だけ』もいろいろ言われている。今年のワーストだとか言われるとそりゃあ凹みますが、それでも観てもらえたことが幸い。漫画家さんも描いた作品について、賛否の雨霰を浴びるほど受けて、もうなんだかいろいろ戸惑うという。いろんな意見を飲み込みつつ考えるけど、やはり飲み込み切れないものや、飲み込んだら胸やけしてしまったものもある。一作品、一話、一頁、一コマ、それを描くことがどれだけ苦しいか。そうして生み出したものが否定される苦しさ。話をしていると漫画家さんなんて僕なんかよりもっと大変だなと思った。


そんなこんな。


昨日はひな祭り。9時過ぎに帰って娘を寝かす。残してあったちらし寿司など食べる。それからWOWOWでやっていた松尾スズキさん演出の『キレイー神様と待ち合わせした女ー』を観る。初演をコクーンで観た。再演は未見。ハリコナという知恵遅れの少年を初演では阿部サダヲさんが演じていた。今回、阿部サダヲさんはダイズ丸という、大豆で出来た殺されたら食料になる宿命の兵士役だった。初演の時も、このダイズ丸の立ち位置が印象に残っていた。初演では古田新太さんが演じていた。最終的には『食べられたい』という夢(というかその宿命を真っ当に生きる願望)がありつつも、後半は生きることにしがみついて、異形な存在になりつつ、妙に明るく、そしてあっさりと死ぬ。『生き恥さらしてさらしてなんぼ』という姿勢を体現していた。


朝起きたら、ちらし寿司を食べきったことを娘が憤慨していた。そんなに好きだったか、ちらし寿司。