東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『呼吸について/光を食べる虫』

tokyomoon2016-10-31

パソコンをジッとみるような仕事が多いと、どうも夜になると目が疲れてくる。コンタクトということもあるのだろうけど。


普段も頻繁に携帯画面を見ていることもあり、なんにせよ目に負担をかけることが多いのだろうと思われる。本当は小説やエッセイなど、もっとたくさん読みたいのだけど、なかなか落ち着いて読む時間がない。


とある朗読劇を観る機会があり、その舞台の空気感を作るのは、本当にちょっとした会話のテンポや、呼吸などちょっとしたことの積み重ねなのだろうと感じた。また、不思議なもので役者自身がうまく乗りきれてないと、その感じがなんとなくこちらに伝わるのだなぁ、ということもわかるので不思議だ。読まれる台詞は同じはずなのに、入ってくる印象が変わるのはなぜだろう。絶対に数値化できないそういうものに触れることができることがなんにせよ面白い。「そういうときは空気を吐き切れてないからなので、一度テンポを壊してもいいから深呼吸しちゃおう」と演出の方が終演後のダメ出しで言っていたのも印象に残った。呼吸なのだな、と思う。きちんと吐き切れているのか。


昨夜、仕事終わりで家に帰ると、娘が起き出してしまったので一緒に横になる。部屋は暗くして、布団横の電気スタンドをつけて2人で横になると、スタンドの光で壁に影が映る。手で影絵をする。娘は「子狐」や「クモ」を作る。僕も「犬」を作ったりする。光源に近づけると影が大きくなったりして面白い。少し遊んでいると「何か話をして」と娘が言うので、光を食べる虫の話というものを即興で作ってみる。


その虫のエサは光で、お腹を空かせた虫は光をムシャムシャと食べる。太陽がサンサンと出ていれば虫はお腹いっぱい食べれるけど、雲に隠れると食べれなくなりお腹が減ってしまう。雨が降ったらゴクゴクと雨を飲む。木陰に入って一休みをしてぐーぐー寝る。また日が差すともしゃもしゃと光を食べる。ふと後ろを振り返ると、虫が食べた場所は真っ暗になっている。光が無くなったので夜になっているのだ。そこに小さなキラキラとした光が出てきた。虫が食べ残した欠片が光を放っていた。それが暗い中でとても綺麗に輝いていた。虫はお腹がいっぱいになるとそのキラキラの中で満足して眠りについた。


そんな話をした。