東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『殯について』

tokyomoon2016-11-22

普段あまり読まないジャンルの『東洋経済』という雑誌に、仕事に関連する記事があり、それを読んでいると、別のページに、殯についてのコラムがあり、それを興味深く読んだ。その言葉は以前に観た映画で知っていたのだけど、意味までは深く知らなかった。

殯は天皇崩御したときに、「天皇霊」を次代に引き継ぐため、ご遺体を長期間安置し分離する儀式

と記載があり、天武天皇の殯は2年2ヶ月続いたとある。単純に書けば、遺体が白骨化するまで見届ける期間を殯というのだという。それは天武天皇の例のように長期に渡っていたらしいのだけど、これはやはり大変労力がかかったようで、持統天皇が仏教の火葬を用いたことで、この殯の期間が短くなったのだという。しかし、それが明治になり、変わったという。

明治政府は西洋のような一神教の組織に倣い、天皇を現人神とする一神教国家神道を作り上げた。神仏分離令によって、天皇の葬儀における仏式葬儀を御法度とし土葬が復活(中略)、さらに皇室典範を制定し、譲位や女性天皇の可能性を排除した。

さらに引用を続けると、

明治政府は仏教排斥のみならず、多神教であった日本古来の神道をも変貌させた。神社合祀令によって、当日全国に20万ほどあった神社のうち、約7万社を、『古事記』や『日本書紀』に登場しない神を祀っているとして取り壊した。

とあり、今になって驚きをもっていろいろと知る。その流れの中に、明治天皇の巡幸があったわけだし、明治新政府の人たちがやってきたことの狙いを考えると、いよいよ恐ろしくもある。価値観を変えようとしたのかもしれない。それまで200年以上続いた江戸の支配を脱するために、形から変える。たしかにその後暫くして、この国には鉄道が敷かれるし、服装や食文化なども劇的に様変わりする。それはこの国の発展を考えてのものかもしれない。だけど、如何にして自らがこの国を統治し易いものにできるかを考えた末の行動とも思えてならない。やがて日本は世界大戦へと突き進むわけだし。そして、その明治政府の考え方や明治の憲法を再びと考える政治家たちの目論見もまた不気味だ。


今朝がた大きな地震があり、さすがの僕でも目覚めた。揺れが長く続いた。気のせいでなければ、昨日の明け方も揺れた、と思う。これ以上大きくならなければいいのだけどと思いつつ、テレビが驚くほど津波関連のニュースを報道している。それがこの国の当然のことになっていってる。