東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『物哀しいぬいぐるみのことなど』

tokyomoon2017-02-19

家の近くのゴミ捨て場にやけに大きなぬいぐるみが捨ててあり、それはそれでもう使わないから処分するのだろうと思いつつ、あまりに大きくて通常の燃えるゴミでは持って行ってくれないようで、ゴミ置場にずっと置いてある。なにやら物悲しさを増幅させる。持ち主の人は、こういう品はせめて処分までもきちんと弔う形でやってくれまいか。


諸々あってツタヤで久しぶりにレンタルをして、そういうところで『恋人たち』とかを観ることができるわけで、ツタヤも捨てがたい。というか映画館にもっと行かねばなぁとも思いつつ。それはさておき、返却期限を把握しておいたつもりが、返しに行くと1日延滞していたことが判明。DVD5枚で1080円というお得さに負け、5枚借りていたのだが、その延滞金は1枚1日270円。都合1400円を超える延滞金を支払うことになり、閉口してツタヤを出る。この不毛さはなんなのか。1日の延滞金で、さらに何本も借りれる額を払うことになるとは。呆然としつつ、Facebookを開くと、Facebookの機能の1つに、過去のその日にアップロードした記事を振り返る的なモノがあり、その中で私は2013年の2月16日に100円で借りたDVDを延滞して200円を支払うという記事をあげていた。ここからわかることは2つ。私は数年前となんら変わらぬことをしでかしているということと、ここ数年でツタヤの延滞料金が70円値上がりしてること。しかし、それにしても私は数年前も実にくだらないことをしでかし、そのくだらないことをSNSにあげ、さらにそれを数年経っても繰り返す愚をしでかしていた。


話変わり仕事のことで一つ考えることがある。改めて人とモノを作り上げることの難しさとでもいうのか。それが商業の中でのことなら尚更。自分にもそれほど経験はないけれど、劇団というものがあり、勝手知ったる面々とモノを作るのならばある程度の承知できる諸々があるとしても、それが初めて会う人たちと作る場合、また異なるコンセンサスの取り方が必要なのだと思う。モノを作る主体となる人が、舞台ならばプロデューサーや演出家になるとして、役者やスタッフはそれに従うだけの人たちではない。難しい。そういったことについて考える。


昨日の午前中、少し時間があったので4月から娘が通う小学校の通学路を一緒に歩く。それから鉄棒の練習をする。逆上がりができず苦戦をしている。自分の時はどうだったろうか。そもそも幼稚園の時に逆上がりの練習をしていただろうか。覚えてない。少し勢いをつけつつ、お腹を鉄棒につけるような気持ちでクルッと回る、と口にすれば簡単な聞こえてしまうけれど、出来ない方からすれば必死だ。結局まだ出来ない。がんばれと横で見ているしかないのだけれども。