東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『春子の人形』

tokyomoon2018-08-06

天気が午後から崩れるということで、晴れ間の見える空を眺めつつも、家の中に洗濯物を干し出社。普段と変わらぬ暑い朝で、気がつけば8:15を過ぎていた。

仕事を終えて夜になっても結局雨は降らず、こんなことなら外に洗濯物を干せば良かったと思う。缶ビールが無かったので、23時過ぎにコンビニに買いに行ったら、ポツポツと雨が降り出した。


録画していたドラマ「春子の人形」を観る。脚本家の早坂暁さんの自伝的な物語。戦時中に海軍学校に通い、日本が戦争に負けるなど信じて疑わない青年の日々を描いた作品。四国松山で生まれ、幼少の頃、家の近くで捨てられた6歳年下の娘を、母親(田中裕子さんが演じる)の判断で育てることになり、次第に互いに兄妹以上の想いを向けあう。妹の春子は、母親から捨て子であり、兄とは血がつながらず愛する権利があることを告げられ、山口県防府市で学ぶ兄を想い、逢いに行こうと広島へ向かったタイミングで昭和20年8月6日を迎えてしまう。その後、消息が途絶える。


ドラマの中で描写がある。妹が被曝したと知らない兄は、学校からの指示で被爆した広島の街に援護で向かうことになり、汽車で山口から広島へ移動していた。夜になり、ふと、汽車の窓から広島の街を見ると、青白い光が無数に揺れる光景を目撃する。それがなんなのか多くは語られない。

何もわからず突然の猛威がその街に直撃した。とてつもないことをどう受け入れるべきなのか。ただ、その飲み込めないことを人が人にするというそれ自体が、人間の尊厳を奪う行為なのだと思う。

母親を演じる田中裕子さんの演技。国のために命を投じることに躊躇がない息子に対して、「お前を産み、育てた母親として最後に命じるが、死ぬようなことがあっても這ってでも帰ってこい」ということを言う、その凄み。印象に残る。


映画監督・青山真治監督が引用リツイートしているつぶやきをたまたま見た。

私が小倉の中学に通っていたある日、H先生が言った。「原爆は小倉に落とされるはずだったけど曇ってたから長崎に落とされたんよ」。「あー、よかった」とふざけた子がいた。「何がいいの!」先生は厳しく叱った。原爆が落とされていい町なんかどこにもない。「魔の六日九日死者ら怯え立つ」佐藤鬼房