東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『11月に入り』

tokyomoon2018-11-07

いろいろとバタバタしている日々がようやく少し落ち着いた。一分の隙もないわけではないけれど、なんとなく落ち着かないと日記を書こうという気になれず、気がつけば11月に入っている。


10月は本当に大変だった。ひとまず、なんとかいろいろ終わったものの、まだまだ引き続くものは当然あり、こういったバタバタのまま、年末を迎えそうな気がする。


何が足りないって、考えたり、映画や舞台を観たり、小説を読む時間。ニュースも見ずに、『ゴリパラ』と『このマンガがすごい』しか見てない。ダメだろうと思いつつ、外に目がいかない。アメリカの中間選挙が気になるのは、時代が進む中で、強硬な保守的な考え方が強まっている傾向にあることが不安で仕方がないから。「自国を守るために他を排除する」という考えは、どう考えても極論としか思えないが、その極論が支持されていくことに、息苦しさしか感じない。


自己責任は必要だ。自分のことは自分でやるしかない。だけど、そこに不思議な圧力を感じる。他国で危険にさらされた人がいたら守って当然じゃないのか。「危険な地域に行った自分の責任だ」は一面では正しいけれど、それでテレビに向かい謝罪をさせることが、僕の中でどうしてもイコールで繋がらない。誰に向かい謝罪をする必要があるのか。それを要請する何かの「頑なさ」が、アメリカの動向にも見られるし、この国の政治にも感じる。その「頑なさ」が非常に息苦しい。


映画も舞台も小説も、なかなか触れることができない。インプットの足りなさが、よくないと思う。呼吸が浅い気がする。落ち着いて、深く物事を見る余裕がないとなぁ。


やっと落ち着いた矢先に、雨の二日間だった。雨上がりは不思議と暖かい気がして、少し深呼吸をすると雨の匂いがした。御会式はもうずいぶん前に終わったような気がする。今は酉の市である。


職場の近くに、猫じゃらしや雑草が生えた空き地があった。写メを撮るのが楽しくて、そこに生えてる草を写真に撮っていたのだが、気がついたらコンクリで更地になっていた。寂しい話だが、経済の視点でいえば、たいそう高額で動く土地のはずで、そこをほったらかしにしておく手はない、という考え方になるのだろう。