東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『忙しない10月』

tokyomoon2018-10-22

今月はとにかくバタバタしていて、落ち着く暇が無い。いろいろなことが重なっている月なので仕方がないと思いつつ、それにしても休む暇が無いのでなんだか忙しない。


そして、さすがに肌寒い季節になってきた。考えれば、10月も後半に差し掛かるわけなので当たり前といえば当たり前か。そろそろ半袖では厳しい。居間でボーッとしたまま寝てしまうと、寒さで凍えそうになる。ちゃんと布団に入らないと、身体がダメになってしまうのではないか。もう歳だからなぁ。


忙しない時は、映画や小説を落ち着いて観ることもできない。辛うじて、このクールはドキュメンタリードラマ「このマンガがすごい!」だけは録画しつつ観ている。30分枠なので観やすい。あと、クールに関わらずゴリパラは観ている。毎週火曜に二局で放送される。これが楽しみ。が、小説や映画は観れない。観たいが集中できないのが辛い。


一昨日、仕事先の人から聞いたのだけど、人は複数のことを同時にやることができるが、それを続けていると呆けることが早くなるらしい。理由までは聞かなかったけど。意識を少しだけでも他に働かせずに一つのことに集中する時間を1日のうちに少しだけでも作ることが良いという。


そういえば、以前に、いとうせいこうさんが、キセルを吸うことの良さを語っていた。キセルは細長い管で煙を吸うのだけど、結構、吸う力が必要で一生懸命吸わないとうまく吸えないらしい。そうすると必然、キセルを吸うことだけに集中し、他のことに意識が回らなくなるという。それがキセルを吸う良さだということを聞いたことがある。同じようなことかもしれない。


しかしなぁ、至る所に意識が散らつく要因がある。メールやラインがくれば、通知に反応する。少し落ち着いていると携帯をいじってツイッターFacebookを見てしまう。いかんなぁ。そういうことから少し離れることも必要なのだろう。


そんなこんなしつつも、諸々忙しなく、なんやかんや続いている。


毎年恒例の地元の御会式。娘は纏を振ってがんばっていた。少しだけそれを見れるタイミングがあったので見て、一緒に行列に参加し、また仕事へ戻った。秋のこの時期の祭りが好きだ。こういう行列や奉納などは、神、というか信仰する対象への感謝や祈りだろうけど、そういうものが、繰り返される打楽器系の音と掛け声によってある種の高揚感を伴い行われることが、人の血の中に刻み込まれた本能としか言いようのないことのようで、そういったものを体感できる祭りは楽しい。そんな祭りに、仕事で途中参加、途中退場するわけだから僕はいよいよ不健全になる。


東京駅丸の内口の前が、広場になっていてなんだか不思議な空間が広がっていた。ビル街の中で、東京駅は建物自体が広い。皇居に向かい、細長い広場が続いているが、駅前のタクシーロータリーみたいな場所も開けていた。東京駅に月がかかってそれが良い具合だった。


友人から娘が生まれたという連絡をもらう。そういう報せは嬉しい。最近、忙しくてなかなか友人たちとも会えてない。