東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

連休話

と、いうわけでご無沙汰してました。
昨日、一昨日と休みでした。
夜勤が入ると連休が少なくても、調子を崩さない。それはやはり、夜勤の前後が楽だからだろうな。夜勤の日は出社が遅いから朝寝坊できるし、次の日はほとんど休みだから。

だから6月2週目以降が連休無かったのに、辛くなかった。
で、昨日、一昨日が久しぶりの連休。
ここぞとばかりにいろいろやりました。

一昨日、ビデオで風景をいくつか撮ろうとするも、朝目覚めたら雨。愕然とした。天気予報でも言ってなかったのに。いきなり凹んでが、しかし、午後からは驚くほど晴れた。なんなんだ、天気め。

そこでフラフラ近所周辺を撮影。できるだけのどかな町並みを撮影した。あと、どうやら小学校の下校時間とかぶり、小学生が結構多かったので、ちゃっかり映り込むように撮影した。それもよかったけど、やっぱり変な目で見られた。午後のまどろんだ良い感じの風景をいくつか撮れた気がする。

あと以前から撮りたいと思っていた大きな鉄塔も撮った。この鉄塔がすごいでかい。でかいから良い。雨上がりで、雲が空に残っていて、それと鉄塔を入れた。ただ眺めているだけならとてもきれいなんだけど、それをうまくフレームの中に入れようとすると、やはりうまくいかない。フレームの範囲が限定されてしまうからなんだろうが、だからこそ映像は難しいなと思う。見ている風景を、そのまま切り取ろうとすることの困難。いろいろ考えさせられる。

そういえば、あの雨は静岡ではとんでもないことになっていたみたい。大変なんだろうな、静岡は。

あと連休だからビデオを借りる。マイケル・ウィンターボトム監督の「ひかりのまち」がまた見たくなったので。ついでにパトリス・ルコント監督の「仕立て屋の恋」も。「ひかりのまち」は全編DVで撮られた作品だ。だからこそフィルムとは違う味わいがある。あと音楽がすごくいい。大好きな作品だ。パトリス・ルコントは名作「髪結いの亭主」の監督。この人の描く中年の男の哀愁ってやつは本当にいい。「仕立て屋の恋」にしても「髪結いの亭主」にしても主人公はちょっとおかしな趣味を持つ男(今回はのぞき)なのに、だけどすごく純粋に女を愛していて、その純粋さゆえに哀しい結末を迎えるんだけど、そこがまたいい。あと、以前録っておいた須永秀明監督の「けものがれ、俺らの猿と」を見る。ミュージック・クリップ出身の監督ならではの絵。編集。話自体はまぁどうでもいいような内容だけど、とことん見せ方にこだわっている。それが監督の思想なのだろう。思想は何も作品のストーリーだけに反映されるとは限らない。思想は手段に現れる。だからこそ僕も思想を伝達するときに手段を考えなくてはならない。なぜ演劇にこだわるのか。その手段だからこそ、僕が伝えたい思想が十二分に描けるからか?だとしたらもっと手段についても突き詰めなければならない。

で、昨日、せっかくの1日。映画1000円デーなので何か見ようと本屋で「ぴあ」を広げる。と、渋谷のシネ・アミューズという映画館でロシアの名監督オタール・イオセリアーニの映画祭がやっていた。その日たまたま本屋に行く前に図書館に寄って「文学界」の阿部和重さんのインタビューを見ていたら、阿部さんがイオセリアーニの「群盗、第七章」が良いと言っていて、しかし日本では未公開だということで、残念に思っていた矢先に、渋谷で今やっているという記事が目に入った。しかも「群盗、第七章」もやっている。こんな偶然はないと、即渋谷へ行く。これがまた良い。

物語は、中世、第二次戦時、現代と入り組んでいるのに、それを見る側に混乱させずに見せるシナリオの巧さ。そして作品中にちりばめられるユーモア。どの時代でも、人はおろかなことを繰り返しているのに、それをしかしユーモアに描き出す監督の視線。それは人間賛歌といえる。説明なんて一切無いのに、見終わった後に、ずっしりとこころに残るものがある。はじめてみることができて、よかった。いろいろ刺激を受けることばかりだ。

明日はいよいよ撮影当日。きっと丸一日かかる。だけどいいものを撮りたい。