東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

「ユリイカ」(角川文庫)

突然だけど、青山真治さんの「ユリイカ」(角川文庫)が面白かった。
この「ユリイカ」、映画では第53回カンヌ国際批評家連盟賞を受賞、小説のほうでは三島由紀夫賞を受賞しているという、なんと言いますか、すごいことになっている作品だ。

どういう順番がなんなのか知らないけど、この作品は映画が先で、あとから小説を書いているそうだ。実は映画のほうはまだ見ていない。小説のみだけれども、しかし小説は面白かった。内容云々は読んでいただければいいとして、なぜ青山真治さんは映画で一度アウトプットした作品を再び小説に再構築したのだろうか。

いや、再構築とはおかしいか。如何せん、映画のほうを見ていないので何が違っているのかは分からないけれども、二つの方法を用いて一つの作品を作る理由は、やはり伝えたいものが違うからなのだろう。つまり二つは同じものを別の側面から捉えようという試みだ。映像だからこそ伝えられるものがある。逆に文字に起こすからこそ伝えられるものがある。考えてみれば、文字で伝えたほうがいいと思うものを映像にしようとするほうが不自然なのだ。青山真治さんは自分で「ユリイカ」を紡ぎながら感じた率直な思いから、映画を作り終えたあとに、小説を書いたのではないだろうか。

二つはだから、別の作品だ。

驚きなのは、小説版「ユリイカ」は著者自身の初作品らしい。もちろん脚本などは以前から書いてはいるのだろうけれども、それでも200ページ以上の長編を読ませる力を持つ文章を書けるという才能。これはすごいなぁ。映画だって3時間半だし。どっちもいろんなものを注いでいるのだ。だからどっちも評価されているのだ。映像の持つ良さだけでもない。文字で現れる表現だけではない。「ユリイカ」にはそのどちらにも通じる一つの確固たる何かがあるのだろう。そこに見る人たちは物思うんだろうな。

話は変わって、編集作業中だ。画像が重い。僕のパソコンのCドライブはそれまで16GBくらい余力があったのに映像をいれたら2GBしかなくなった。これはギリギリなのか。あまりパソコンに詳しくない僕としては、なにやらギリギリ。パソコンギリギリ、な思いが溢れてくる。NGカットはどんどん削除していく。とりあえずまずは必要なカットの選定だ。

そうやって日々は進む。